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白き蝶の、白き花に、
小き蝶の、小き花に、
みだるるよ、みだるるよ。
長き憂は、長き髪に、
暗き憂は、暗き髪に、
みだるるよ、みだるるよ。
いたずらに、吹くは野分の、
いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、
みだるるよ、みだるるよ。
と女はうたい了る。銀椀に珠を盛りて、白魚の指に揺かしたらば、こんな声がでようと、男は聴きとれていた。
「うまく、唱えました。もう少し稽古して音量が充分に出ると大きな場所で聴いても、立派に聴けるに違いない。今度演奏会でためしにやって見ませんか」
――漱石「野分」
母が伊勢湾台風にあったとき、あくるひ、厠の屋根だかが防風林にひっかかってた、と言っていた気がする。防風林は風から家を守るだけでない、厠の屋根が隣近所に飛んでくのを防ぐのであった。なにか哲学を感じるのは私だけであろうか。
香川大学に来た頃、わたくしのゼミでたぶん一番優秀らしくあった学生が、梅崎春生の「無名颱風」で卒論を書いたが、――梅崎のこれが名作で、ちょっとかっこつけすぎという感じがしないでもないが、梅崎の精神的処世術というのは現代的だ。これは一種、映画「テイク・シェルター」に似ている。そこではシェルターに籠もる家族にとって竜巻がどの程度のものだったのかわからない。梅崎はほんとうに悪夢のような時間を過ごしたので、台風なぞ台風にみえない程度に、まるで比喩に見えるような境地に達してしまっている。「テイク・シェルター」も、自分の生活のほうが既にしんどいので、竜巻が来ることは一種の希望にすらみえる。
鶴見俊輔は次のようにどこかで言っていた。
俺は小学生のときから不良少年だった。事実です。ウソではない。そこから刑務所を通っていまここにいる。刑務所も事実です。アメリカで入った。それ以外、経歴は何も言わない。そういう自己演出をしておかないと、「真の正義の人」みたいに書かれたら、もう致命的です。
わたくしが、この思想家を信用出来ないのは、こういうところである。彼にとっては事実というものは確かであって、隠したり出したりすることで処世が可能であるが、大概の人は、事実はもっと主観化されていてトラウマと区別がつかないのである。
トラウマを演出する吉本隆明なんかもその一味である。それを「文字通り」糞真面目に解釈しようとしている川鍋義一氏の吉本隆明初期詩篇論も読まなくちゃいけない。
その点、戦時下で、こそこそと映画館にかよい、女優の桑野通子に惚れていた遠藤周作は信じられる。彼は、松竹の助監督の試験まで受けているはずである。(「わがあこがれのスター」、『プロマイド昭和史』)同時に試験うけてた人に松山善三(高峰秀子様の旦那)もいたらしい。吉永小百合とかいろいろな人が好きだったが最近は泉ピン子だ、みたいなオチをつけているところからして、遠藤周作の人生はその信仰とは無関係にどうなったのかわからない。もしかしたら、松山善三のかわりに高峰秀子と結婚していたかも知れない(
このひとたちは、ほんと、教育みたいな責任をともなう行為には向いていない。
こういう文藝や映画の病んだ世界を研究していると、教育と芸術の双方を担っていた漫画の世界のほうが、すくなくとも昔はまともであった気がする。寺田ヒロオ氏の『背番号0』ってけっこういい話が多い。高校野球やプロ野球の漫画は競技自体が生活なので、ほぼバトル漫画の様相を呈するのだが、小学生の野球の話は、生活や子供のとしての人生の学習のなかに競技があるので、こちらのほうが普遍的かもしれない(寺田氏の描く野球のフォームは水島新司並みにキレイだね。自然なかんじで。残酷な話もあるが普通にありそうで自然だな)。これに比べると、「巨人の星」も「ドカベン」も、教育を放棄した不自然なインフレ怪物漫画だ。
大谷君なんかは漫画を超えたとか言われているが、そんなことはない。山田太郎は、記憶喪失でホームランを打っているのだ。彼はまだ通訳を喪失しただけではないか。
スポーツ自体にインフレを促す性格がある。戦争よりもスポーツのほうがある種空想的に大げさになるのだ。もうさんざ言われていることだと思うけど、戦争のスポーツ化も出現している体たらくである。