藤村に比べると中上健次とか、ほんと文学青年でいいひとのようにおもわれる。先祖が平氏か何かの、小さな人間関係にこそ権力を発揮する本陣の家みたいなものが、時代の変化?で呪われた一族となる。これが中上の場合は、部落をつくっていた場所が開発でなくなるとか、どちらかというと呪いが解けたみたいなものの呪い、のようなものがあって、ほんとうはそのレベルの呪いなのに藤村は甘いみたいな話にわれわれは解釈しがちである。
しかし単純に悪人なのは藤村の方であろう。そして、悪人だからといって能力が低いわけではない。
藤村研究の瀬沼茂樹が昭和40年代に、木曽の夏期大学にやってきたとしは猛暑だったらしい。東京は?37度になったと。木曽ではさすがに涼しかったが、木曽人たちは暑い暑いといっている、かれらに都会の猛暑を当てたら焼け死ぬ、とか――彼の随筆集(『仮面と素顔』)で書いていた。実際、今年の木曽はしばしば37度になってたと思うが、別に焼け死んではいない。しかし、問題は、瀬沼が平気で木曽人は焼け死ぬとかかいてしまうことである。木曽はかれにとっては、つねに何かの反極である。
人はものの木はひのき
づくと根気はある程よし
木曽地方の俚諺はおのずから剛健質実な気風を語っている。男女共に働き者といわれるし、カルサンと呼ばれる雪袴を着用することにもみられる。また五平餅は「五平五合」から出た食いだめの言葉といゝ、御幣の形から出て御幣餅とも書かれるが、山村の携帯食糧なのである。森林地帯にみられる幽暗は中世風な迷信をやしない、狐、狸にまつわる人を魅し人に憑く各種の迷信や禁忌を生みだしやすい。 東西の交通の要路としては比較的に都会風を移し植えやすいが、農山村の封鎖性も強く、男女の風紀の乱れるのも避けがたい。況や中世的大家族制の存在するからには、家族内の密事をも免れがたい。
木曽の奈良井か薮原流か婿もとらずに孫を抱く
この種の俚諺は男女の風紀についての一斑の消息を伝える。 木曽踊や雑魚寝など、祭事にともなう風習はこの震源を語っている。
――瀬沼茂樹「血につながるふるさと」(『太陽』1972・3)
瀬沼氏は、藤村の陰気を漱石のユーモアと対比しており、そんな簡単な図式はおかしいとはおもうのだが、――氏は、藤村の示す憂鬱はそれとして生長したものだということはわかっている。だからその震源地をもとめて研究するのであった。