★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

忘年会記

2011-12-17 03:14:48 | 音楽


さっきまで忘年会で、ア×ソンとA×Bしか歌わない学生とカラオケにつきあわされていたのだが、そこのカラオケ屋さんには、高峰秀子の「森の水車」と谷山浩子の「夢のスープ」がなかった。この二曲がないと私の実力は発揮されない。とりあえず、「星間飛行」を少し歌っておいたから、学生のみなさんは私の演習をがんばってやってくれたまへ。

All I want for Christmas is you と言われたので来ました

2011-12-15 22:46:44 | 音楽
I don't want a lot for Christmas
There is just one thing I need
(and I) Don't care about the presents
Underneath the Christmas tree
I don't need to hang my stocking
There upon the fireplace
(ahhh) Santa Claus won't make me happy
With a toy on Christmas day
I just want you for my own
More than you could ever know
Make my wish come true
All I want for Christmas is you...You baby



大学生のとき、当時発売されたマライア・キャリーの歌でちゃらちゃらした気分になっていたことをここに告白します。

よく考えてみたら、上の歌詞は、サンタは恋人を運んでこい、いやサンタは来なくていい、という支離滅裂な、おそらくかなり症状が悪化した方の歌である。この歌をありがたがって妄想爆発させるのは、我々がよくよく「孤独な群衆」であることを示しているっ。コンビニでよく流れているが、物はいらん、あなただけが欲しい、という反資本主義の歌であることを店長は分かっておるのか。

遅ればせながら言わせて頂きます。

2011-12-14 23:13:46 | 漫画など
先週、日本テレビで「天空の城ラピュタ」が二年ぶりに放映されていたらしい。日本人のいくらかは、仕事や恋愛よりも断然ラピュタ鑑賞をとる。2ちゃんねるは、放送開始後しばらくしてサーバーがダウン。ツイッターはなんとか放送終了まで耐えたらしい。私は、勉強や仕事でそれどころではなかった。ヒマな日本人はさっさと滅んだ方がいいと思う。

3分間待ってやる。







反応がないので、遅ればせながら……


名古屋で解釈学2

2011-12-11 23:08:29 | 文学


名古屋大学での国際研究集会「哲学的解釈学からテクスト解釈学へ」から帰ってきた。

三日間の集会のうち、金曜日は行けなかったから、この集会の名前の意味が最後までよく分からなかったが、一日目の松澤和弘氏や野家啓一氏の話を聞けば分かったかも知れない……。

全体として、非常に興味深く話を聞けた。私は、大学の頃、作者の死とか解釈学的循環とか論じている人々をみて、「ええっ、堂々と誤読したはいいが、作者がその人を恨んで殺しに来たらどうするんだよ」と思っていたぐらいである。今日も思ったが、ガダマーでも構造主義者でもいいが(この人達はだいぶ違う訳であるが……)、我々とは違った作者の専制を感じているのであって、そう簡単に作者が死んだり生き返ったりしないのである。たぶん、昔も今も日本で一番のタブーは「作者は読者より一万倍頭がよいので、読者はさっさと読解に励め」という言葉である。

とはいえ、私自身、解釈学の議論をまともに考えてこなかったにもかかわらず、こんなに影響を受けていたとは知らなかった。鎌田隆行氏の生成批評についての発表を聞いて、私の生成批評に対する反発の意味も分かったよ、知らず知らずに私も生成論的な批評に傾いていたからだ。ただ、聞かない方がよかったかも知れない。これで私もいやでも自分のやっていることに「方法的」に縛られるかも知れない。これこそ怖いことである。

ピエール・クロード氏やクレール・フォヴェルグ氏の発表を聞いて思ったのは、別に「方法」ではなく、深いテクストの理解と研究の蓄積である。これが「方法」に縛られるようになると、たちまち自分の研究と人の研究のとの量的・質的な比較が要請されてしまう。――同じ「方法」・土俵でのセクトの形成、その実、そのセクト内でのわかりやすい競争が始まるのである。有名作家の研究のあるグループなど、そういう感じで……

最後の討論で、クロード氏が、解釈論的な具体物として、モンティーニュの「エセー」を例として出していたのは嬉しかった。エセーは試論であり裁判官でもあったモンティーニュ自身の裁定に対する対話である。我々はあまりにはやく自分の頭の中の他人と対話しすぎるのではあるまいか。

堕ちよ、堕ちよ

2011-12-08 18:18:59 | 文学


昨日、大事な発表会をやっていたところ、突然大音量でどこかから流れてきた言葉。大変自覚があってよろしい。しかし堕ちる気があるのだったら、坂口安吾のいうように、きちんと堕ちて欲しい。

魂抜け

2011-12-07 23:44:32 | 大学


今日は朝から一日中仕事で、卒業論文中間(というか直前)発表会2が夕方あって、その懇親会もあったから、何かを飲みつつ魂が上へ上へと伸び上がっていたわたくし。