★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

鑑と記憶の多面

2025-02-13 23:41:49 | 文学


 鏡の箱の代り、このあこ君といふ童女しておこせたり。黒塗の箱の九寸ばかりなるが深さは三寸ばかりにて、古めきまどひて、所々はげたるを、「これ、黒けれど、漆つきていと清げなり」と宣へれば、「をかし」と笑ひて、御鏡入れてみるに、こよなければ、「いで、あな見苦し。なかなか入れで持たせたまへれ。いとうたてげにはべり」と聞ゆれば、「さはれ、な言ひそ。賜はりぬ。げにいとようはべり」とて、使やりつ。少将、取り寄せて見たまひて、「いかでかかる古代の物を見出でたまひつらむ。置いたまふめるものは、さる姿にて、世になきものも、かしこしかし」と笑ひたまふ。明けぬれば出でたまひぬ。

鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?はい、あなた様です。――今も昔も、こういう内省しかないような人物がいたので、リフレクションみたいな概念が弄ばれるようになったに違いない。落窪の北の方のような人物は、鏡を持って行ってしまう。かわりに古ぼけた鏡をくれる。鏡を取り替えるということを思いつく我々の文化の方がしゃれているのだ。――しかし、そうとも言い切れまい。小林秀雄みたいに突然、神皇正統記を読んで鑑だ鑑だと言い始める人もいるからだ。果たして、文章の中のどこに、自分のすがたが映るものであろうか。

柿本真代氏のディズニー絵本の受容の研究に書いてあったが、ディズニー絵本を非教育的なものとみなすのは日米ともに60年代以降らしい。一方、日本のディズニーアニメの影響は、わたくしの教壇からの体感だと宮崎アニメのそれと重なっている気がする。しかし、ほんとのところはわからない。われわれは体感とか記憶を信用すべきではない。まだ鑑をみてびくりした方がましだ。

我々は鏡を見ると少しは今でもびっくりする。だから、鑑はむかしから案外真実を映すものと考えられたに違いない。それは、失われた過去を見出す如くである。たぶん、過去の改竄は我々が鑑の前で笑ったりするのと似ている。わたくしがむやみにニコニコしている人間を信用しないのはそのためである。コミュニケーション能力とかいうもののほとんどは、記憶力や勝手に自分の思ったことを結論だとおもいこまない能力とものすごく関係がありそうであって、――快活であることなんか、アイコンがかわいいみたいなのにちかい。

わたくしの記憶がないのは、幼稚園以前と小2~4ぐらいで、前者は常識的にわかるんだけど、後者はわからない。ほとんど覚えていない。とにかく面白いことがなかった雰囲気だけ覚えている。太宰の「人間失格」の最初のほうに、食欲というのが分からないという挿話が出てくるけど、これはすごく重要なことだと思う。わたしも異様に食欲がなくてその感覚が理解できず、お腹が空いてきたのは小学校5年ぐらいである。そこあたりから記憶がはっきりしている。葉蔵がなぜ人間を理解できないという認識に拘泥しているのかは結局分からないわけだが、それは食欲みたいなものの根拠がわからないようなものだ。よくわからんが、こういう感覚は甘やかされて育ったこととも関係あるかも知れない。

わたくし、たぶん幼稚園かそこらの頃、たびたびマジンガーZと一緒に寝てた気がするのだが、清原選手がずっとバットと一緒に寝てたという話をきいて思い出したのがそのことであった。わたくしは小学校はいる前に卒業してしまったが、自分の分身と別れた悲しみは大きいはずで、それがいつ来るかは人による。清原氏が経験したのは、わたくしの小学校前半期とおなじで、欠乏感ではなかろうかと思う。小学生の私は大したことはなかったが、40超えて人生を奪われる感じは想像つかない。おそらく、記憶があまりないのではないかと思う。

私の親は小学校の教員だったこともあってか、わたしにテレビまんがをやんわり禁じるやり方もうまかったと思われる。テレビまんがを忌避すると言うより、自分たちも絵を描いたり能をうなったりしてたから、わたしも、サブカルはたまたまいま一生懸命しない程度の選択肢でしかなかったような気がする。というか、小学校時代、私も部活やピアノの練習でそこそこ忙しかったような気がする。その都度はまり込む事柄にも忙しかったし。――いや、ほんとのこというと私は親の見識を読んでいたのだと思う。幼稚園時代、マジンガーZにはまり込んでなんか現実との境が怪しくなっていたし、小1でウルトラマンの劇中にはまりこんでいるわたくしをみてさすがに危機を覚えた両親はわたしをそういうものから少しずつ遠ざけた。そして、わたくしもその危機感を共有していたと思うのである。幼稚園も小学校も異様につまらなかったから少々おかしいなと、自分を疑っていたからである。

そういえば、母はわたくしの絵の能力に期待していた気がする。わたくしはあまり絵に関しては才能を自分に感じなかった。大学の時に美術部の人がわたくしが授業で描いた絵みて、美術に進めば良かったのにといっていたが、わたくしには全くぴんこなかった。そしてまったくおなじくピンとは来ていないのだが、好きだった音楽を続けることになったが、――結局、ピンと来た文学の方をやることになり、そういえば最近はそれもピンとこなくなっている。ピンとはなにか?

そういえば、わたくしの性格には非常に酷薄なところがあるけれども、これが学者になってしまったことと関係があるんじゃないかとは疑っている。キャリア選択みたいな観点で学者になると、こういうことが分からなくなる可能性はあると思う。


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