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しかし、私は、あの雪の日以來、大空を壓して降りて來るあの固々たる雪の中の深い秩序が、何時の雪の日にも、私のこゝろによみがへつて來る。
そして、この大都會の人の世の上に降つてくる雪が、この上もない美しいものとなつて呉れたのである。掌の上でとける雪も、あの二万尺の上から、あの結晶をはこんでくることを思つて、今も、私は涙ぐむのである。
――中井正一「雪」
中井のような絶望をくぐった人なんかのほうが、雪を眺めてつい大都会の上方をみてしまうものなのかもしれない。押井守の映画にはそういう雪の場面がたくさんあった。ポーもヴァレリーも花田も小林も空をながめて唸っている。
対して、国策に随い中国や太平洋に乗り出した人々は何を見たのであろう。葉山嘉樹が満州行ったとき、太平洋に乗り出すのと満州にいくことは同じだ、地球は丸くみえる、みたいなことを言っている。
トラックは、地球上の最頂点をいつも走り続けた。
この無限の北満の曠野は、どこまで行っても、地平線が円く沈んでみて、一行の走るところが、いつでも最頂点であった。
おお、地球の円味よ。今こそ、われわれは地球の円味を、大地の上でこの眼で見ることが出来たのだ。
それは太平洋の真只中で、水平線に囲まれながら、地球の円味を感じるのと同じものであった。
曠野の微かな隆起は、太平洋の波のうねりであった。 洗面器を伏せたやうな幾つかの曠野のただ中の死火山は、太平洋上の珊瑚礁であった。
曠野の中に乳白色に凍結した川は、太平洋における黒潮であった。 または汽船の航跡であった。
――葉山嘉樹「入植記」
戦争で移動する人々のみたのは、地球球体説の証明であり、日本ではない土地から日本を見る、いわば地動説ならぬ日本動説みたいな感覚である。自分が動いているからそれらは発見されたのではないかと思うが、だから一方で、日本の相対化ではなく、「地球上の最頂点」みたいな陶酔をも生み出すのだ。そういえば、満州で育った安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」にもこの「最頂点」みたいな認識が唱えられている部分があった気がする。安部はそこで育ったから逆に、ユートピアの不可能性にすぐにたどり着いた訳であるが。。
「君たちはどう生きるか」も、地動説の話から始まり、天才児コペル君の誕生を語っていた。吉野源三郎だって、ほんとは、移動したいタイプなのではないか。むしろ、戦後もとことんとどまったことを考えると、彼は移動する国策へ抵抗しすぎただけなのかも知れない。