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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

最近、細君と見たドラマなどから

2015-07-20 01:25:21 | 映画


「ど根性ガエル」第2話を見る。……【満島】ぴょん吉【ひかり】さん目当てなのだが、ひろし役の松山なんとかも寅さんみたいな演技が上手かった。ネット上では、前田敦子に着られたシャツの上からぴょん吉が放った「あんまりおおきくならなかったね、お@ぱい」という【満島】【ひかり】さんの発言で盛り上がっていたようであるが、わたくしとしては、今回みたいに、実写のカエルとかオタマジャクシがいっぱい大活躍してくれれば何の問題もない。……それはともかく、ぴょん吉というのは、おそらく「腹心の友」の実体化なのであろうが、暗黒大将軍なんかにもそういうものがあり、エヴァンゲリオンもそんな感じなのだ。そういえば最近映画になった「寄生獣」もそうだ。これらはせいぜい漱石流のお別れ劇や庇護者からの自立劇に終わると思う。このドラマもその危険性がある。わたくしは、日本人がこれから個人主義を真に学ぶためには、一度「蠅男の恐怖」みたいに、頭部と左手だけ蠅になるとか、そういう設定のものを経験する必要があると思う。いつまでも「中の人」とか「腹心の友」とか言っているから他者性が希薄なのだ。他者性はそれが自分であるという自覚のうちにしかあり得ない。……というわけで、最終回、ひろしの頭がぴょん吉の頭になる恐怖のエンディング希望。

「表参道高校合唱部」第1話……小豆島が出てくるというので、鑑賞させられたのであるが、むかしの合唱部の記憶などが甦り、なかなか面白かったぞ。上記ドラマにも出ていた、松本来夢さんがでてたし。ファンです。というか、なんなのだ、この美少女と美少年ばっかりの高校は……。入学したい。

===台風の中孤独に見た映画======

「時をかける少女」(アニメーション)……「時をかける少女」ってこういう話だったのか。むかし、ドラマやってたらしいけど見てなかったもんで、はじめて知ったわ。原田知世に鼻の下伸ばしてた男子も時の流れには勝てず……いまいずこ。

「ダイハード・ラストデイ」……なにもなし。


弁当とうどん脳

2015-07-18 16:42:41 | 食べ物




だいたい、便器競技場に金がかかるのは当たり前だとして、とんでもない金額になるであろう集団的自衛の金はどこから搾り取るつもりだよ。さすがにアメリカも軍事費までは出してくれんだろが。おれの研究費はもともと15万円しかないぞ、これ以上召し上げられたら……いや、おれの研究費を召し上げているのは奴らではなくクリスマスツリー……とかなんとか思っていたら、「防衛省からお金あげますから研究テーマ募集しますよ」、とかなんとかいうメールが、大学の事務から転送されてきた。「永遠に0」「永遠の0」みたく詐術みたいなのでは、人は死んでくれない。ここで文学の出番である。いろいろな意味で文学は戦に必要だ。

いつも授業で、最高のネタとして、学生の困惑と失笑を誘うのがこの二つである。

★『朝日新聞』の昭和二十一年八月一五日の号泣記事。

……との大御心を拝察し奉りては、正座する身をまたも嗚咽に伏せる私であった。[…]いま九段の杜に神鎮まる護国の英霊に、我ら何の顔をもってまみえよう[…]『天皇陛下に申し訳がありません……』それだけ叫んで声が出なかった。だが、私は一つの声を聞き、二つの声を耳にした「わかります」「私も赤子の一人です」「この上どんあことが起ころうとも……」この声はそれだけ言って、もうあとは嗚咽にかき砕かれた。[…]我らの心は一つ、……進むことこそ我ら一億の唯一の道ぞ、涙のなか、その喜びに触れて私は「やりませう」と大きな声で叫んだ。

★高村光太郎「真珠湾の日」

宣戦布告よりもさきに聞いたのは
ハワイ辺で戦があつたといふことだ。
つひに太平洋で戦ふのだ。
詔勅をきいて身ぶるひした。
この容易ならぬ瞬間に
私の頭脳はランビキにかけられ、
昨日は遠い昔となり、
遠い昔が今となった。
天皇あやふし。
ただこの一語が
私の一切を決定した。
子供の時のおぢいさんが、
父が母がそこに居た。
少年の日の家の雲霧が
部屋一ぱいに立ちこめた。
私の耳は祖先の声でみたされ、
陛下が、陛下がと、
あへぐ意識は眩いた。
身をすてるほか今はない。
陛下をまもろう。
詩をすてて詩を書かう。
記録を書かう。
同胞の荒廃を出来れば防がう。
私はその夜木星の大きく光る駒込台で
ただしんけんにさう思ひつめた。

……いうまでもなく、この調子では戦に負けて当然であった。直截に言えば、口先野郎なのだ。もっとも、吉本隆明が何処かで指摘していたように、モダニスト村野四郎とかの「剣を取れ 神霊は天に存り」といった戦中の煽りポエムに比べれば、後ろ向きな口先に思えてかわいそうな感じもしてくるのであるが。対して、もっとも戦闘的であるところの人間は次のような感じなのである。

人間であることがなによりも大切です。人間であるとは、確固として明朗、かつ晴れやかであることです。そうです。どんなことがあっても晴れやかであることです。……世界はどれほど恐ろしいことがあっても美しいのです。弱虫や臆病者がいなくなったら、もっともっと美しくなるでしょうに。
(ルイーゼ・カウツキー編『ローザ・ルクセンブルクの手紙』、川口浩・松井圭子訳、岩波文庫)  


これは、脳の問題だ。次に弁当の問題だが、……この分野には嘘つきが多く信用ならない。

小林先生がくるらしい

2015-07-18 16:26:27 | 思想


だいたい小林節先生と言えば、自民党と組んで妙な改憲をやらかそうというとんでもねえやつだと思っていたのである。氏が立憲主義をかかげて自民党を罵倒している昨今、まさにですね、なんだかよくわからんが存立危機事態に他ならない。

Non, je ne regrette rien

2015-07-17 17:48:57 | 音楽
エディット・ピアフに「水に流して」という歌がある。フランス語がわからないので日本語で意味をとるだけであるが――これは独り言みたいな歌詞であるからいいとしても、全体主義者や転向者もしばしば同じようなことを言う。みずからの犯罪を隠蔽するためにも必要だからである。

https://www.youtube.com/watch?v=IwmKVep7Yow

水に流して   岩谷時子 訳詞

もういいのもう後悔しない
昨日のことは全て水に流そう

もういいのもう後悔しない
みんな今じゃ過ぎた昔の事

過去は全部焼き捨てたわ
思い出にも用はないわ
恋もすべてきれいにした
ゼロからまたやりなおそう

もういいのもう後悔しない
昨日のことは全て水に流そう

もういいのもう後悔しない
新しい人生が今日から始まるのさ

……エディット・ピアフはたしかこのとき新しい夫(すごく年下)とやりなおすところだった。むろん、過去は水に流せない。それどころか、年々肩にのしかかってくるものが過去であろう。驚くべきことに、ピアフが四七歳で死んだ後、その若い夫は、ピアフの借金を独力で返済したそうだ。本当に「水に流して」しまったのである。しかし、ピアフ本人が救われたわけではない。

Remember,understand and honor

2015-07-15 23:56:20 | ニュース


なにしろ、われわれは職業柄、自分の体験していない二つの世界大戦や、キリスト教の弾圧や、さまざまな人びとの怨念をも記憶しているからだ。首相が、自分の経験していないことまでも、勝手に背負っているように。わたくしは、彼が背負っている怨念を理解はしない。もちろん、説明なんかしなくてもいいです。あなたの言葉は「まさにですね」しか記憶に残らないから……

猫二態

2015-07-13 23:05:07 | 文学


五月ばかり、夜ふくるまで物語をよみて起きゐたれば、来つらむ方も見えぬに、猫のいとなごう鳴いたるを、おどろきて見れば、いみじうをかしげなる猫あり。いづくより来つる猫ぞと見るに、姉なる人、「あなかま、人に聞かすな。いとをかしげなる猫なり。飼はむ」とあるに、いみじう人なれつつ、かたはらにうち臥したり。尋ぬる人やあると、これを隠して飼ふに、すべて下衆のあたりにも寄らず、つと前にのみありて、物もきたなげなるは、ほかざまに顔をむけて食はず。

猫来ました。

(四月の夜、とし老った猫が)
友達のうちのあまり明るくない電燈の向ふにその年老った猫がしづかに顔を出した。
(アンデルゼンの猫を知ってゐますか。
 暗闇で毛を逆立てゝパチパチ火花を出すアンデルゼンの猫を。)
実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります。)
猫は停ってすわって前あしでからだをこする。見てゐるとつめたいそして底知れない変なものが猫の毛皮を網になって覆ひ、猫はその網糸を延ばして毛皮一面に張ってゐるのだ。
(毛皮といふものは厭なもんだ。毛皮を考へると私は変に苦笑ひがしたくなる。陰電気のためかも知れない。)
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れて行った。
(どう考へても私は猫は厭ですよ。)


――宮沢賢治「猫」