だいたい、便器競技場に金がかかるのは当たり前だとして、とんでもない金額になるであろう集団的自衛の金はどこから搾り取るつもりだよ。さすがにアメリカも軍事費までは出してくれんだろが。おれの研究費はもともと15万円しかないぞ、これ以上召し上げられたら……いや、おれの研究費を召し上げているのは奴らではなくクリスマスツリー……とかなんとか思っていたら、「防衛省からお金あげますから研究テーマ募集しますよ」、とかなんとかいうメールが、大学の事務から転送されてきた。
「永遠に0」「永遠の0」みたく詐術みたいなのでは、人は死んでくれない。ここで文学の出番である。いろいろな意味で文学は戦に必要だ。
いつも授業で、最高のネタとして、学生の困惑と失笑を誘うのがこの二つである。
★『朝日新聞』の昭和二十一年八月一五日の号泣記事。
……との大御心を拝察し奉りては、正座する身をまたも嗚咽に伏せる私であった。[…]いま九段の杜に神鎮まる護国の英霊に、我ら何の顔をもってまみえよう[…]『天皇陛下に申し訳がありません……』それだけ叫んで声が出なかった。だが、私は一つの声を聞き、二つの声を耳にした「わかります」「私も赤子の一人です」「この上どんあことが起ころうとも……」この声はそれだけ言って、もうあとは嗚咽にかき砕かれた。[…]我らの心は一つ、……進むことこそ我ら一億の唯一の道ぞ、涙のなか、その喜びに触れて私は「やりませう」と大きな声で叫んだ。
★高村光太郎「真珠湾の日」
宣戦布告よりもさきに聞いたのは
ハワイ辺で戦があつたといふことだ。
つひに太平洋で戦ふのだ。
詔勅をきいて身ぶるひした。
この容易ならぬ瞬間に
私の頭脳はランビキにかけられ、
昨日は遠い昔となり、
遠い昔が今となった。
天皇あやふし。
ただこの一語が
私の一切を決定した。
子供の時のおぢいさんが、
父が母がそこに居た。
少年の日の家の雲霧が
部屋一ぱいに立ちこめた。
私の耳は祖先の声でみたされ、
陛下が、陛下がと、
あへぐ意識は眩いた。
身をすてるほか今はない。
陛下をまもろう。
詩をすてて詩を書かう。
記録を書かう。
同胞の荒廃を出来れば防がう。
私はその夜木星の大きく光る駒込台で
ただしんけんにさう思ひつめた。
……いうまでもなく、この調子では戦に負けて当然であった。直截に言えば、口先野郎なのだ。もっとも、吉本隆明が何処かで指摘していたように、モダニスト村野四郎とかの「剣を取れ 神霊は天に存り」といった戦中の煽りポエムに比べれば、後ろ向きな口先に思えてかわいそうな感じもしてくるのであるが。対して、もっとも戦闘的であるところの人間は次のような感じなのである。
人間であることがなによりも大切です。人間であるとは、確固として明朗、かつ晴れやかであることです。そうです。どんなことがあっても晴れやかであることです。……世界はどれほど恐ろしいことがあっても美しいのです。弱虫や臆病者がいなくなったら、もっともっと美しくなるでしょうに。
(ルイーゼ・カウツキー編『ローザ・ルクセンブルクの手紙』、川口浩・松井圭子訳、岩波文庫)
これは、脳の問題だ。次に弁当の問題だが、……この分野には嘘つきが多く信用ならない。