今日は、学内で安保法制をめぐる集会があったので顔を出してみたが、なかなか面白かった。憲法学者にしてもわれわれ文学者にしても、問題だと思っているのは、我々の「自由」を目指さない風土というか何ものか、なのである。自分と他人の「自由」の追求がないために、なにをやっても……全体主義ということになる。ただ、それは政治条件によってそうなっていることも確かであろう。我々はやっぱりアメリカと関係上、安保や沖縄の基地など矛盾する複雑な状況から、自由や平和のプランを練り上げるのが苦手である――それはそうだ、半独立の敗戦国であるからなあ。この軛を無視する議論は整合性がとれているように見えても無意味であろう。我々はアメリカによって自由を得たのだが、アメリカによって主権を失っている。だから、基地負担をなんとも思わないくせに、憲法は自分たちで作ろうと自立したがってみせたり……、よくわからんが、奴隷のあがきみたいなものが我々の行動を規定している。しかし、幸福にも憲法は高度な課題を我々に与えている。それを諦めない方がよいのである。従属国であった経験が却って、崇高な理想を追求し続けた名誉を与える日が必ず来る……
……人類が火星に移住する日と競争である。