★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

セミが部屋に飛び込んできて寝てます

2015-07-25 23:51:53 | ニュース


1、美術館「子ども向け表現を議論」 会田さん作品改変要請
http://www.asahi.com/articles/ASH7T62T2H7TUCVL00B.html?iref=comtop_6_06


……http://m-aida.tumblr.com/によると、たった一名のクレームで、会田誠の作品が撤去されるだのされないなど騒動になっている。問題になっている?「文部科学省にもの申す」の檄文を読んでみたが、この程度のものを「子ども向き」ではないとか言っているから、子どもの自主性やら何やらが育たないのである。やたら発達段階論を振りかざす教員には特徴がある。大人に対するコミュニケーションでも相手を子ども扱いするという点である。ピカソの「ゲルニカ」も子どもには見せない方がいいとか言っているやつを知っているが、戦争や政治的なものを忌避しているわけではないのである。忌避しているのは自分より認識がある人間一般である。「子どもにはこれは無理だろう」という言い訳をする教師は、だいたい自分がその問題に自信がないのである。だから、私は、美術館側が日和ったという見方は正確ではない、と思う。美術館側は、自分の認識に自信がないだけなのである。戦前の偽装転向と言われるものの正体である。本心をひた隠しにして難局を乗り切るつもりならまだましなのだ。単に勉強不足で動揺しているだけなのだからどうしようもない。
 だいたい、その檄文の内容にしてからが、最期の方に「全部俺に決めさせろ。」などというオチがまっている類のものである。本当の文部科学省の犯罪的行為を暴きたいなら、教育現場とのやりとりの詳細な脅迫の記録だけでOKだ。それをやっていない会田氏に私は不満を覚えるくらいだ。私も出来ないが。我々の批判を跳ね返すために、もはや却って「まともな」ことが出来なくなっているのが文科省ではないか。親分が子分と普通のまともなコミュニケーションができなくなっているのと同じである。彼らは自分のポジションを保つために、絶対に学問と現場が困る、正しくないことしかできなくなってしまっているのである。でなければ、完全に頭がイカレている。

2、そういえば、鶴見俊輔が死んだらしい。結構いろいろなアカデミシャンが尊敬してたんだね……。私はなぜか鶴見俊輔の文章でスゴイと思ったものに出会ったことがない。この人に比べれば、同じ系統だと思うけど荒正人の方が、体調が悪そうで好感がもてる。