★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

屑論

2019-09-09 23:18:14 | 文学


このいと言ふかひなく、情けなく、さま悪しき人なれど、ひたおもむきに二心なきを見れば、心やすくて年ごろをも過ぐしつるなり。をりふしの心ばへの、かやうに愛敬なく用意なきことこそ憎けれ、嘆かしく恨めしきこともなく、かたみにうちいさかひても、心にあはぬことをばあきらめつ。

浮舟の母は、八の宮から妻と認められなかった。で、いまの夫と結婚したのであるが、その結果、上のようなコメントを残している。身分、思いやり、風貌すべていいところなし、だが、そのかわり浮気心もなし。ないないづくしの男である。思いやりがないのがトサカに来るけれども、歎いたり恨めしいことはない。なんでかというと、喧嘩しても納得できないことは明らかに出来たからである、と。

源氏と紫の上への批判ですね、分かります。

この前「いだてん」でも、確か、志ん生の妻の夏帆さん(かわいらしい)が自分の夫のことを「落語以外はクズ中のクズなんです」とかなんとか言っていた(違ったかもしれない)。だいたいこういうせりふが出てきたら、夫のいいところが展開するのが通俗的展開というやつであるが、本当のクズは落語を引いた志ん生、もしくは匂宮とかそのお爺さんとかではなかろうか。いや、本当のクズというのは、想像を絶するという感じがする人間のことで、――確かに世の中想像も出来ない奴がいるもんである。上の三人はまだ想定内だ。

私は、それを、ほうぼうの職業雑誌に、たのむのである。「割に素直に書かれて在ると思いますから、いい作品だと思いますから、どうかよろしくお願いいたします。私みたいな、不徳の者が、兵隊さんの原稿を持ち込みするということに、唐突の思いをなされるかも知れませんが、けれども人間の真情はまた、おのずから別のもので、私だって、」と書きかけて、つい、つまずいてしまうのだ。何が「私だって」だ。嘘も、いい加減にしろ。おまえは、いま、人間の屑、ということになっているのだぞ。知らないのか。
 私は、それを知っている。いやになるほど、知らされている。

――太宰治「鷗 ――ひそひそ聞える。なんだか聞える。」


なんだか太宰治を読んでいると、読者は「いや太宰は自虐で言ってるんだ、むしろ戦時下の日本人は全員ゴミクズなんだ」と思い、で街中で突然「このゴミクズ野郎がっ」とでも叫びたくなってくるので、漱石なら大丈夫だ――

お前は侍である。侍なら悟れぬはずはなかろうと和尚が云った。そういつまでも悟れぬところをもって見ると、御前は侍ではあるまいと言った。人間の屑じゃと言った。ははあ怒ったなと云って笑った。口惜しければ悟った証拠を持って来いと云ってぷいと向をむいた。怪しからん。

――漱石「第二夜」


いまよく見たら、当世風にこう言い換えられるのではないでしょうか。

お前は研究者である。研究者なら研究できないはずはなかろうと***が云った。そういつまでも研究できぬところをもって見ると、御前は研究者ではあるまいと言った。人間の屑じゃと言った。ははあ怒ったなと云って笑った。口惜しければポンチ絵とエビデンスを持って来いと云ってぷいと向をむいた。怪しからん。


「はっと思った。右の手をすぐ短刀にかけた。時計が二つ目をチーンと打った。」この結末について、演習でだいぶ考えたが、――それはともかく、漱石はやや真剣すぎるようだ。寺田寅彦のように「鎗屑」みたいな屑ならいいのかもしれない。「話の屑籠」は、安吾なんかにけなされるのでやめた方がよい。