★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

馬と渡辺

2019-09-21 21:45:25 | 文学


「まことや、三位の入道は三井寺にと聞こえ候。定めて、夜討なんどもや向かはれ候はんずらん。三位の入道の一類、渡辺党、さては三井寺法師にてぞ候はんずらん。心憎うも候はず。まかり向かって選討なども仕るべき。さる馬を持って候ひしを、この程親しい奴めに盗まれて候。御馬一匹下し預り候はばや」
と申しければ、大将
「最もさるべし」


源頼政は謀反を起こした。清盛の三男(宗盛)が頼政の息子仲綱の愛馬を奪って彼の名前を焼き印で記し、「この仲綱に鞍をつけろ乗ってぶったたいてやれ」とかなんとか言ったらしい、というのが理由の一つであった。馬鹿というのは、やはり馬が好きなようで、馬のこととなると気が狂うようである。頼政の忠臣渡辺競が「平家に仕えますんで、馬を下さい。」と言ったら、「最もさるべし(イイネ!)」というのがやはり馬鹿の発言は予想を超えている。仲綱は、くれと言われたのでくれてしまったが、すぐさま「貴方の名前の焼き印を押しますんで返して下さい」とでも言えばよかったのだ。

研究者には、案外狂ったような競馬好きがいるので安心は出来ないが、――確かに、研究者というのは、宗盛みたいな馬鹿な側面と、競のような狡賢い側面をもっている。あわせて競馬なのであろう。

結局、渡辺競は嘘をついていたのだ、この馬をもって頼政のいる三井寺に駆けつける。そして馬に酷いことを……。

ところで、渡辺と言えばわたくしも渡邊であるが、――渡辺温という作家の創った「恋」(昭和2年)という話がある。そこにでてくる女優が恋する、童話作家と称する男を、渡辺は「アザラシ」に喩えていた。この二人は、結局結婚して幸福にくらすのであるが、渡辺はこのアザラシだけを太字にしているので、引っかかっていた。今回読みなおしてみたら、「アザラシのように内気な」と書いてあったので、わたくしは反省した。海辺にいる太った男と旬が過ぎた女優の恋をからかっているように思えたわたくしは間違っていて、アザラシに内気な性格を見ていたのであった。そしてその内気さは彼に作り話をさせて女優に恋を告白させたのである。渡辺はアザラシをみてそれを内気と思うような人であった。

と思って、馬の画像などをネットで見てみたが、馬もだいたい内気そうな顔をしている。馬をめぐってプライドを傷つけられる『平家物語』の人間たちは、馬を自分の心のように思っていたに違いない。