新開水神社は、木太町。案内板がちゃんとあった。ここらは寛文年間に干拓された地であって井戸をつくってもたいがい失敗であったが、ここの井戸だけはきれいな水がわき出ていた、そこで、新開・州端地区の住民がここに水をもらいに来ていたらしい。そこで祀られたのがこの水神である。昭和30年代までこのもらい水の習慣は続いていたという。
戦時中の『香川県神社誌』に載っている「新開神社」は近くに別にあるようだがまだ訪ねていない。この「新開神社」は祭神が保食神である。結局、日本の神社というのは保食神とか水神というのが多いのだ。みんな食べるために大変な思いをしていたわけである。この保食神とは、日本書記にも出てくる女神で、アマテラスがツクヨミに、保食神を訪ねさせたところ、陸には米を、海には魚をゲロしていたのであった。それをみたツクヨミはあまりにBかだったので、思わず斬り殺してしまった。そしてその屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生えてきたのである。
頭から牛馬がでてくるのがすごいが、視点を引いてみてみれば、われわれだって、山や川のほとりから生えてきている植物となんら変わりない代物である。陰部から麦ではなく我々がでてきてもべつにかまわない。いろいろなものの屍体から様々なものが生えてくるのを昔の人たちは見ていた。
いうまでもなく、こういう形の神話を、ハイヌウェレ型神話という。ハイヌウェレはインドネシアの島の少女であり、尻から宝物を出すので気味悪がってみんなで殺して埋めた。で、父親がその死体をわざわざばらばらにして畑に植えたところ、いろいろな芋が生えてきたのである。しかし、まあ、この少女、そもそもココヤシの花から生まれているのであって、まずそこに村の連中が驚かないのがおかしいし、この父親、さてはココヤシと異種交配をやらかしているのであった。まあ、ココヤシに性的魅力を感じるのはわからないではない。べつに植物に恋してもいいじゃないか。
水神のかたわらからココナツに似た人が生えてる!
名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて
汝はそも 波に幾月
旧の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕
孤身の 浮寝の旅ぞ
さすが島崎藤村、もう少しで椰子の実に惚れそうになっている。しかしそこは近代人の悲しさで、恋したのは自ら、「孤身」であった。