人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

インドの神秘詩人カビール

2019-03-02 12:23:33 | 人生の裏側の図書室
「個我として一者が内部にいる。内部で光が輝いた」
「お前と私、私とお前、他に誰もいない。お前のような夫、私はお前の生みの親」
(カビール/ラマイニー2連)

中世インドの神秘家カビールの名はOSHO.ラジニーシの一連の講話でしばしば言及されていて、馴染みがあるのですが、我が国ではほとんど文献も無く、どういう人かはほとんど知らなかったのですが、遅まきながら最近その語録が邦訳されているのを知りました。
(カビール/「宗教詩ビージャク」/平凡社.東洋文庫)
大雑把な説明では、バクティ(献身、帰依)を重んじるヴィシュヌ派などのヒンドウー教と、西方より伝来したスーフィーを中心としたイスラーム教との橋渡しをした聖者ということになりそうですが、彼が活躍した15世紀頃の北インドはこの二派に限らず、様々な宗教思潮が交流し合っていたようで、それらの影響もおそらく受けてはいたのでしょう。
しかし、解説によれば「彼は心の内奥におわす"正師"以外の誰の教示にも従わなかった。そのため彼の信条と確信は、明らかに支えのない、彼自身が自分をなぞらえている神秘的な"火の鳥(不死鳥)のようなものだった」といいます。
この"正師"への純一無雑なる帰依というものが、その語録からヒシヒシと伝わってきます。
この"正師直伝"の教えに特定の教派、修行形態への固執など有り得ようはずなどありません。

「カルマもダルマもそこにはなく、言葉も生じず身体も生じない。
そこにはマントラ(呪句)もプージャー(供養儀礼)もない。
統御などの修習もそこにはなく、それを一元[と言おうか]それとも二元と[言おうか]」。(サバド43)
「サント(聖者)よ、こんな誤りが世間にあり、それで個我は偽りに赴く
第一に[人々は]不可分のブラフマンを誤って、[そのブラフマン]の影像を自分と思った。
影像に迷って意欲を起こし、意欲から慢心が[生じた]。
驕りをなして坐ざし、様々な道(宗教)を始めた」(サバド115)

カビールは、北インドの下層市民として生まれ、多く機織り職人として生計を立てていたといいます。
あたかも様々な異なる教えが、正師のもとに縦横自在にタペストリーのように編まれてゆく様を象徴しているようにも思えます。
しかし、世の常というか、カビール亡き後ヒンドウー教、イスラーム教との間で遺骨の引き取りを巡って争いが起きたとか...
そして又、カビール派の開祖として偶像視されるようになってしまいました。
人々はもっとも近いもの、そこからしか何一つ始まらないものを蔑ろにして、道をますます遠いもの、複雑なものにしていってしまうのでしょう。
しかし、正師は時、所を超えて何処に示現するとも分かりません。
この、見えるものが見えにくくなり、見えないものが見えてくる、という現代こそ、不死鳥の如く復活してくるのではないでしょうか?

恋しさに胸が震えるならば、火の鳥が羽ばたく...
コメント
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