人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

ハートで感じること

2019-03-17 12:38:54 | スピリチュアル
今月からファミレスの「ガスト」のモーニングのメニューが新しくなり、豚汁定食というのがお目見えしました。
"こりゃあ、ええi"
ひじき、納豆が付いてるi 豚汁は、高血圧には優しい薄味i
他店の汁物はどっこも濃くて、残してしまうのですが、みーんな食べちゃったi
やっぱり、身体は何が食べたいかよく知っているのでしょう。
こういうのが次々出てきて欲しいものです。

身体のことでも、精神のことでもホントは何を望んでいるのか、実際にそういうものを味わってみなければ分からないものです。
一度味わってみれば、自ずと分かる...食べ物だったら味覚で知っているのです。
精神のことは、中々こういう訳には行かないものです。
本当に味わうとはどういうことなのか? 分からない内に"これが真理ですi"、"これで幸福になれますi"、"これであなたのハクが付きますi"という、他からの声に容易くなびいてしまうのです。
そして、知らず知らずに、"何が得か、何がハクが付くか、何が流行か..."といったような判断に流されてしまうのです。
何故、こうなってしまうのか? それは精神のことは頭から来るものであり、頭で決めなければならない、という思い込みがあるためでは無いでしょうか?
私がいつも言っている、"意識を向ける、意識的になる"ということは、頭からだけからは決して来ないものなのです。
頭だけで"意識がある中心に自ずと集まってくる"ということには決してならないのです。
頭から、思われている意識を集めようとかすると、それはどうしても"意識を集中する"ということになってしまうのです。
これは全く違うことを言っているのであり、それは思念、意念に頼ることではありません。
これはですねえ...今、初めて実感されたんですけれども、意識がハートにあることでそうなるんです。
意識が中心に向かうところにハートがあったi 内なる意識の消息のことは、ハートというものを抜きにしては語れないのであったi
私はヨガの実習などしてる訳じゃないので、これはハートのチャクラが云々ということは、分からないし、申し上げられません。
ただ、頭だけからは決してもたらされないものとして、ハートということを言い表すしかありません。
チャクラがどうとかは知らないけど、具体的にどういうものか分からないものだけど、こんなにも自明なものは無いi 理屈抜きに惹き付けられてしまうことほど自明なものは無いのです。
ラマナ.マハルシが"ハートこそは神の座である"と言っている意味が実によく分かります。
頭の判断だけで、他に容易くおもねってしまうことは、ハートの声を無視しているということでしょう。
ハートを通さなければ本当に味わうということが出来ないのです。
食べ物だったら、味覚で覚えているように、頭の記憶でなく、身に覚えていることもこれによるのでしょう。
それは、絶対に他に代えることの出来ない、あなたと私にとり最愛のものであるはずでしょう。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする