これから書こうと思っていることは、言葉に表すことは実に簡単なことです。
誰しもが当たり前に感じているようなことです。自明なことです。
"私は私であること"
そこには何も問題などありません。起こりようが無い。これは絶対的境位と言ってもいいでしょう。
一体何が悪いのか? そこに良いも悪いもあるかろうはずなどないじゃありませんか? 私が私しているだけなのです。
では、悪いこと...悪。これはそもどこから来るのでしょうか?
私以外に、私の外に私と同じように私している他者存在が認められるからではないでしょうか? そこで"私とあなたとはなんか違う"感じからくる、ある言葉にならない、違和感、不快感から生まれるようです。
そして幾多もの他者が寄り合い、集合して一つの共同的集団が形成されてきます。
そして又テンデバラバラの、数多の"私"を一つの有機体として束ね、統制するには中心となる存在をたて、それを基にルール、法的なものを設える必要が起きてきます。
そこで漠然と感じていただけだった、事の善悪という観念、概念は明確にされるのです。
社会的集団の誕生です。
そうなると...私は私であるままではいられなくなります。
ここに相対感、相対観念が生まれます。
お互いにこの相違を認識しておく必要が起きてきます。ここに自我というものが芽生えてくるのです。
これは明らかに原初的な善悪未分の"私"とは区別されるべきです。自我とは私と別の他者あってのものなのです。
やがて他者を自分の鏡のように映し出すことで、自分を認識するようにもなります。
もう、こうなると...我々の意識はかつてのように"私が私であること"から切り離されるに至ります。
こういう各々相対観念を抱えた社会的集団は、細胞分裂のように、次々と別の社会的集団へと分裂して行きます。
その各々の集団は中心も法も異なります。ただその異なる集団が相接する時には、異なる個人の場合もそうであるように、緊張が生まれるのは共通しているようです。時に関係が破れて"くんずほぐれつ"という状態にもなる...それが巨大化、重層化し、複雑に絡まりあったものになると...
悪矛盾、悪連鎖は無限ループに陥り、問題は途方もないことになって、もはや途方に暮れるしかありません。
何でそーなるかは少し考えれば分かりきっているのです。だけど...こんなにどうしていいか分からないことは無いでしょ、全世界の皆さんi
個人も社会も国も世界も自然も宇宙も霊界?も...問題という問題はこういうことから来るのでしょう。
フリーメーソンがイルミナティが悪いとか何とか言う前に、こういう問題が我々の集合意識に横たわっていることに気付くべきなのです。
どうしたらいいのかって...どうしようもないけど感じたまま、考えて言葉に表すことは簡単ですよi
それはねえ...私が私であることと、他のみんながそうであることとが切り離されなければいいんじゃんi フハハハハ...カンタンじゃないすかi
こんなカンタンなことが...何て途方もないことなんだろう?...
そう感じるのも、考えるのも、言うのも簡単なんですけどねえ...
実際私はこんな声なき声を聞いたことがあります。
"それは容易いことだ。私がそこに顕れれば"
何か途方もない御方の言葉だったようです。
この御方から我々が切り離された事が問題の始まりだった...何て途方もなく簡単なことかi...
誰しもが当たり前に感じているようなことです。自明なことです。
"私は私であること"
そこには何も問題などありません。起こりようが無い。これは絶対的境位と言ってもいいでしょう。
一体何が悪いのか? そこに良いも悪いもあるかろうはずなどないじゃありませんか? 私が私しているだけなのです。
では、悪いこと...悪。これはそもどこから来るのでしょうか?
私以外に、私の外に私と同じように私している他者存在が認められるからではないでしょうか? そこで"私とあなたとはなんか違う"感じからくる、ある言葉にならない、違和感、不快感から生まれるようです。
そして幾多もの他者が寄り合い、集合して一つの共同的集団が形成されてきます。
そして又テンデバラバラの、数多の"私"を一つの有機体として束ね、統制するには中心となる存在をたて、それを基にルール、法的なものを設える必要が起きてきます。
そこで漠然と感じていただけだった、事の善悪という観念、概念は明確にされるのです。
社会的集団の誕生です。
そうなると...私は私であるままではいられなくなります。
ここに相対感、相対観念が生まれます。
お互いにこの相違を認識しておく必要が起きてきます。ここに自我というものが芽生えてくるのです。
これは明らかに原初的な善悪未分の"私"とは区別されるべきです。自我とは私と別の他者あってのものなのです。
やがて他者を自分の鏡のように映し出すことで、自分を認識するようにもなります。
もう、こうなると...我々の意識はかつてのように"私が私であること"から切り離されるに至ります。
こういう各々相対観念を抱えた社会的集団は、細胞分裂のように、次々と別の社会的集団へと分裂して行きます。
その各々の集団は中心も法も異なります。ただその異なる集団が相接する時には、異なる個人の場合もそうであるように、緊張が生まれるのは共通しているようです。時に関係が破れて"くんずほぐれつ"という状態にもなる...それが巨大化、重層化し、複雑に絡まりあったものになると...
悪矛盾、悪連鎖は無限ループに陥り、問題は途方もないことになって、もはや途方に暮れるしかありません。
何でそーなるかは少し考えれば分かりきっているのです。だけど...こんなにどうしていいか分からないことは無いでしょ、全世界の皆さんi
個人も社会も国も世界も自然も宇宙も霊界?も...問題という問題はこういうことから来るのでしょう。
フリーメーソンがイルミナティが悪いとか何とか言う前に、こういう問題が我々の集合意識に横たわっていることに気付くべきなのです。
どうしたらいいのかって...どうしようもないけど感じたまま、考えて言葉に表すことは簡単ですよi
それはねえ...私が私であることと、他のみんながそうであることとが切り離されなければいいんじゃんi フハハハハ...カンタンじゃないすかi
こんなカンタンなことが...何て途方もないことなんだろう?...
そう感じるのも、考えるのも、言うのも簡単なんですけどねえ...
実際私はこんな声なき声を聞いたことがあります。
"それは容易いことだ。私がそこに顕れれば"
何か途方もない御方の言葉だったようです。
この御方から我々が切り離された事が問題の始まりだった...何て途方もなく簡単なことかi...