実家で一人暮らしをしている母が86歳の誕生日を迎えた。
お祝いに好物のお寿司でも食べに連れて行こうかと思っていたら、「近所のお友達がケーキ等を持参してお祝いしてくれるので、お寿司は別の日に」とのことだった。
昨年百歳を超えたT子さんは施設に入ったし、家が一番近いMさんは92歳で暮れに亡くなったので近所の「お友達」も少なくなり徐々に外堀が埋まって来たものと思っていたが、まだ七人もの仲間が「健在」で祝ってくれるという。
本当に「有り難い事」と頭が下がる。
そんな「お友達」を近くに持っていた方が親不孝な子供達を持つよりもずっと「幸せな人生」と言えるかもしれない。

(春を告げる花の代表である福寿草が日当りの良い庭で花を咲かせていた。)
バイタリティがウリで未だに自転車で行動している母だが「寄る年波には勝てない」らしく最近とみに動きが緩慢になって来たように見える。
80歳の時は孫子や弟妹が集まって鳴子温泉で盛大に祝賀会を開催したが、二年後に予定している「米寿の祝賀会」の開催は微妙な情勢になって来たようだ。
何とか健在で「その日」を迎えて欲しいものと「親不孝息子」は切に願っている。
お祝いに好物のお寿司でも食べに連れて行こうかと思っていたら、「近所のお友達がケーキ等を持参してお祝いしてくれるので、お寿司は別の日に」とのことだった。
昨年百歳を超えたT子さんは施設に入ったし、家が一番近いMさんは92歳で暮れに亡くなったので近所の「お友達」も少なくなり徐々に外堀が埋まって来たものと思っていたが、まだ七人もの仲間が「健在」で祝ってくれるという。
本当に「有り難い事」と頭が下がる。
そんな「お友達」を近くに持っていた方が親不孝な子供達を持つよりもずっと「幸せな人生」と言えるかもしれない。

(春を告げる花の代表である福寿草が日当りの良い庭で花を咲かせていた。)
バイタリティがウリで未だに自転車で行動している母だが「寄る年波には勝てない」らしく最近とみに動きが緩慢になって来たように見える。
80歳の時は孫子や弟妹が集まって鳴子温泉で盛大に祝賀会を開催したが、二年後に予定している「米寿の祝賀会」の開催は微妙な情勢になって来たようだ。
何とか健在で「その日」を迎えて欲しいものと「親不孝息子」は切に願っている。