肉牛の仔牛を飼育してセリに出荷するようになってから何年経つのかは分らない。
オバサンが小学生の時に既に農耕用は馬から牛に代わっていたらしいので少なくとも半世紀以上は続いているようだ。
米作り中心の中で一時は七頭の親牛を抱えたこともあったそうだが、ここ十年ぐらいは二頭で回している。
その内の一頭が出産時の事故で昨年急死したため、今は親牛が一頭しか居なくなった。
その親牛が昨年産んだ雌の仔牛を売却するか親牛用として育成するかが家族で議論となった。
これは単に「一頭がいいか二頭がいいか」の議論ではなく、いずれ飼育牛から撤退するかどうかも睨んでいる。
牛の飼育はジィチャンが一切合財やっているので、我々夫婦には飼育のノウハウが無いのは勿論のこと、どの程度の稼働がかかるかも十分に把握できていない。
その状況で的確な判断をすることは難しい。
自信を持って決断できないときは「現状肯定が無難」といつも思っている。
将来的にもこの仕事を継続して欲しいと願っているジィチャンの思惑とも合致して「二頭体制維持」が結論となった。
その結果、今後はジィチャンだけでなくオジサンも一緒になって飼育に携わることになった。
数年実践し、その上で継続するかどうかの決断をしたいと思っている。
(予報通り朝は雪が積もっていた。厳美渓の橋の下流もご覧のとおりの雪景色となった。)
牛飼育の魅力の一つは、稲藁や雑草を牛に食べさせ、牛舎に蓄積した堆肥を土に返すという理想的な循環型農業ができることにある。
畦道の雑草刈りは牛が居なくとも年に三~四回はやらねばならないこと。
その膨大な稼働を単なる負債の除去として終わらせたくないという大局観が「継続」判断の大きな要素になったことは言うまでも無い。
オバサンが小学生の時に既に農耕用は馬から牛に代わっていたらしいので少なくとも半世紀以上は続いているようだ。
米作り中心の中で一時は七頭の親牛を抱えたこともあったそうだが、ここ十年ぐらいは二頭で回している。
その内の一頭が出産時の事故で昨年急死したため、今は親牛が一頭しか居なくなった。
その親牛が昨年産んだ雌の仔牛を売却するか親牛用として育成するかが家族で議論となった。
これは単に「一頭がいいか二頭がいいか」の議論ではなく、いずれ飼育牛から撤退するかどうかも睨んでいる。
牛の飼育はジィチャンが一切合財やっているので、我々夫婦には飼育のノウハウが無いのは勿論のこと、どの程度の稼働がかかるかも十分に把握できていない。
その状況で的確な判断をすることは難しい。
自信を持って決断できないときは「現状肯定が無難」といつも思っている。
将来的にもこの仕事を継続して欲しいと願っているジィチャンの思惑とも合致して「二頭体制維持」が結論となった。
その結果、今後はジィチャンだけでなくオジサンも一緒になって飼育に携わることになった。
数年実践し、その上で継続するかどうかの決断をしたいと思っている。
(予報通り朝は雪が積もっていた。厳美渓の橋の下流もご覧のとおりの雪景色となった。)
牛飼育の魅力の一つは、稲藁や雑草を牛に食べさせ、牛舎に蓄積した堆肥を土に返すという理想的な循環型農業ができることにある。
畦道の雑草刈りは牛が居なくとも年に三~四回はやらねばならないこと。
その膨大な稼働を単なる負債の除去として終わらせたくないという大局観が「継続」判断の大きな要素になったことは言うまでも無い。
牛飼いになりたいと思いこれまで取り組んできましたが堆肥の有効活用を考え畑作との複合を目指しています。
まだ牛の方はどうなるかわかりませんが・・・。
(aki)
コメントありがとうございます。
先日の「食の安全」の記事にコメントはしませんでしたが興味深く拝見しました。
複合経営を目指すのは正解かと思われます。
単品経営は効率的に運営できますが、予期せぬ環境変化に対応できないリスクが伴います。
勿論、循環型農業のためには複合経営は欠かせません。