簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

鳴海宿 (東海道歩き旅・尾張の国)

2022-06-24 | Weblog
 有松と共に、「絞り」で知られた鳴海宿の東の入口が平部町である。
その角に、立派な常夜灯が残されている。
文化3(1806)年に設置され、旅人や宿内の安全、火災厄除けなどを
秋葉神社に祈願したものだ。



 鳴海町は昭和38(1963)年、名古屋市との合併で緑区鳴海町となり、
町役場は緑区役所となった。そこには問屋場が有ったと言うが、今は無
骨な役所があるだけで痕跡は何も無い。



 宿場は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒、戸数は847軒という。
人口も3,600人余りと伝えられているので小さな宿場ではなかったようだ。
町並の長さも、凡そ半里に及ぶほどの宿場であった。
当時は何所の宿場もそうであったように、人口比で見るとこの宿場も女性
の方が多かった。



 名鉄鳴海駅に至る道路の角の本町に、松尾芭蕉ゆかりの誓願寺が有り、
この辺りに本陣を務めた家があるらしいが、どこだか良く分からない。
 名物利休まんじゅうで知られる安政4(1857)年創業の菓子処・菊屋茂
富のある角に、当時を窺い知る曲尺手(だと思う)が残されている。



 しかし残念ながらその他には、当時を知る伝統的な建造物は何も残さ
れてはいず、見るべき物が何も無い。通りには連子格子の建物も二三見
かけるものの、時代的には新しい物のようで、どこにでもあるごく普通
の町並だ。ここに旧街道の面影を求めるのは無理なようだ。



 街道は作町の辺りで大きく右に回る。
この辺りの右手奥に、信長により廃城の憂き目を見た鳴海城の跡があり、
この町も嘗ては城下町であったようだ。
東海道は尾張国最後の宿・宮(熱田)迄は一里半六町(凡そ6.5㎞)だ。(続)



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