簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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采女(うねめ)町 (東海道歩き旅・伊勢の国)

2023-05-05 | Weblog
 明治の中頃、小古曽、北小松、采女、貝塚、並木の五ケ村が合併して
内部(うつべ)村が誕生した。
村名は近くを流れる内部川に因んで名付けられた。
昭和に入ると内部村は四日市市に吸収合併され、昔の村名は地区名とし
て残ることになる。



 この辺りをその一つ采女町と言い、古い家が幾らか残り、なんとなく
懐かしい風情ある町並が見られる通りである。これまで見てきた街道筋
に面した家並みは、地域で例外もあるが、妻入りか平入りかでほぼ統一
されていた印象を持っていたが、ここは珍しく混在して建っている。



 杖衝坂の登り口にある集落で古くから「采女郷」として知られた地だ。

 「杖つき坂の東にあり。日本武尊御悩の時、三重の郡家より采女出て
御介抱し奉る。(中略)采女の名是より起こる」(東海道名所図会)



 「采女」とは、古代朝廷に仕え、主に天皇や皇后の食膳の奉仕をした
下級の女官をいう。多くは地方豪族の娘たちで、朝廷への服従の証拠と
して娘を采女として差し出したと云われているから一種の人質である。

 容姿端麗が絶対条件と云われるが、才媛であることも必要だった。
この「三重の郡家より采女・・・」と書かれた女性は、この地の女性と
言われている。



 国道から300m程進んで突当りを右折し、更に100m程先を左折する。
道の先はすでに登り坂の様相で、小さな川を越えればそこが杖衝坂の登
り口だ。道は枡形に曲がると、金刀比羅宮の小さなお堂が右にある。



 その前を左に折れると更に勾配を増して右カーブで登り始める。
久しぶりに遭遇する急坂で、たちまちにして息が上がる。(続)



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