![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/de/019e36e139a6e2e4b3fc4a9d283dc783.jpg)
旧街道は相変わらず緩やかに曲がりながら、静かな町並みの中を抜け
ている。稀に旧家らしい平入りの家屋を目にするが、左程古い物では無さ
そうで、街道は旧態を留めているものの、この辺りにも当時を彷彿させる
ものは余り残されてはいない。
途中米洗川の袂に、大きな羽津の常夜灯が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/0a/b4903ee7e165a5f1f4976daf673b5d4b.jpg)
これまでも街道筋や宿場の内外で、幾つもの常夜灯を目にしてきた。
常夜灯の多くは地元の篤志家等から寄付されたケースが多いが、これも
その土地その土地で意味合いが違っている。
静岡から愛知にかけては、火伏の神として知られる秋葉神社の献灯で
あったが、伊勢路に入るとその多くは、伊勢神宮に至る道に設けられた
献灯となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/84/1b233b4a4c5affc20646dd947de2106f.jpg)
旧街道が羽津地区に入ると、前方に大きな松の木が一本、早傾きかけ
た西日を受けシルエットとなり見えてきた。
江戸時代後期に植えられた樹齢約200年という松だ。
戦前まではまだ多くの松が並木を成して残されていたらしいが、戦後の
経済発展に歩調を合わすように切られ、遂にはこの一本だけになった。
昔この地は「川原須(かわらず)」と呼ばれていて、この松も「かわらず
の松」と呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/0c/edea15cdf0272c38e04b3d26c02a05f4.jpg)
古墳時代の古墳跡地に立地している、古墳神社・志氐神社(しでじん
じゃ)門前の鳥居を見て進む。
その先で旧街道はいったん途切れ、左にとり国道1号線に迂回する。
反対の右にとれば羽津城址があるらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d8/3c5f3ccd393b112d73399817692fc0c6.jpg)
国道に出ると金場町の交差点に古い道標が残されていた。
角柱の角は風化したのか、可成り欠けて丸みを帯びているが、「桑名
四日市道」等と刻まれているのが読める。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2f/08de34c22ec73ed88468b2c3b93bb62b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます