簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

旧西大寺鉄道(赤穂線・乗潰しの旅)

2020-05-20 | Weblog


 その昔この西大寺の町中には鉄道が来ていなかった。
明治24(1891年)に、山陽本線の前身、山陽鉄道が岡山と三石の間で初
めて営業を始めた折も、西大寺はそのルートからは完全に外れカヤの外
で有った。



 そんな町に鉄道を・・・と計画されたのが「西大寺鉄道」である。
旧西大寺市(現岡山市東区西大寺)から、岡山市の後楽園までの間11.4
kmを10駅で結んでいた。国内でも珍しい軌道敷の幅が914mmと言う、
いわゆる軽便鉄道で地元では「けえべん」と呼び親しまれていたと言う。



 主に九州北部の軌道に用いられたものと同じタイプであるが、遅さや
輸送力の少なさから、それらはあらかた戦前に姿を消したが、ここ西大
寺鉄道は昭和37年まで生き残っていた。
沿線に競合する鉄道や、バスの路線が無かったため、比較的長く生きな
がらえたが、さすがに赤穂線が開通すると、太刀打ちも出来ず、撤退す
ることに成る。



 起点の旧西大寺市駅は、開業当初は「観音駅」と言われていたらしい。
それは天下の三大奇祭で知られる、「西大寺観音院」に由来する駅名で、
この町がいかに観音院と共に生きて来たかが窺われる。



 現在駅の跡地はバスセンターになり、周囲にはスーパーなども立地す
る町の中心地では有るが、そのスーパーも近年中の撤退が決まっている。
周辺にも大型スーパーが増え、中心部の衰退が進んでいるからだ。



 ここには当時活躍した気動車「キハ7」が保存展示されている。
車内に入ってみると中は余りにも狭くまるで遊園地のトロッコのようだ。
しかし、裸祭りの行われる日には、大勢の乗客が押し寄せ、乗り溢れた
客がこの車両の屋根にしがみ付いて運ばれていたと言う。(続)

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