簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

濱中駅(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

2023-10-20 | Weblog
 宮道駅は、沖田神社の最寄り駅として大いに賑わった。
昔の人は健脚で、往復すれば5㎞以上の道程を歩いて参拝に訪れていた。
沿線でも駅の営業成績はトップクラスで、それを支えたのが参拝客である
が、ここには海水浴客も多く訪れていた。



 海水浴場は駅の西二丁の距離に有り「旭川の浅瀬で、水底は砂白く水
清く、婦人子供の水浴に好適場」と紹介されている。
 鉄道会社は目の前の宮道海水浴場の運営をし、食料販売店を開店する
傍ら、三蟠駅構内の空き地に水族館を開館する等多角経営を行っていた。



 鉄道の線路は、沖新田の田畑の中を直線的に敷かれ、起伏の少ない平
坦な路線であった。
 当時途中に大きな村落はなかったが、今では干拓地を思わす広大な田
畑が一部残るものの、用地開発も進み、新しい住宅や工場等も立地して、
線路跡の特定はますます困難となっている。



 特に整備中の地域高規格道路岡山環状道路(所謂外環状線)の一部と
して平成4(1992)年、旭川最下流に岡南大橋が架かると、新たな商業
施設や大型店舗なども立地し開発に拍車が掛かった。
 それだけに廃線から一世紀にならんとする今日まで、その痕跡を残し、
維持するのが難しいのは無理からぬ事だ。



 濱中駅は国清寺駅より三哩六分(5.7㎞)、当時の上道郡三蟠村に設
けられた。駅から西に一丁も行くと旭川の河口が広がり、四季を通じて
釣り客が多く、賑わったという。
昭和の初め頃は、旭川右岸はまだ干拓されていず児島湾が広がっていた。



 鉄道の経営は何時までも安泰とは言えず、昭和に入ると進出を広げる
乗合自動車との競合が激しくなる。
気動車などを導入して、時間の短縮や運転本数の見直し等で対抗するも、
その頃になると浚渫が進んだ旭川舟運の盛り返しもあり、三蟠港の必要
性も次第に薄れていく。(続)





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