簾 満月「バスの助手席」

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宮道駅(三蟠鉄道廃線跡を歩く)

2023-10-18 | Weblog
 三蟠鉄道の各駅では、駅周辺の観光案内として寺社や史蹟が多く紹介
されている。起点より二哩七分(4.4㎞)、当時の上道郡三蟠村に設けら
れた「宮道駅」も例外ではない。

 国道2号線岡山バイパスを潜り、宮道のバス停が有る辺りが丁度その
距離で、この辺りに駅が有ったのではと推測する。
この駅は、神社の参道への最寄り駅であった。



 ここでは、駅より東二十五丁(凡そ2.7㎞)の、「縣社沖田神社」が
案内されている。干拓地に開かれた直線道が延びていて、百間川に突き
当たる少し手前に社は鎮座している。
 岡山藩主・池田綱政の命により藩郡代・津田永忠が奉行となり、凡そ
2000町歩が干拓され、新田として開発されたのが沖新田である。



 当時の沖新田六ケ村の総鎮守・産土神として、綱政の命により「沖田
神社」が、元禄7(1694)年建立された。
 当初は福島にあったが、後にここより南の沖元に遷された。
しかし沖元は土地が低く度々冠水被害を受けるので、15年後に当地に遷
座され今に到っている。



 大鳥居を潜ると正面に、平成23(2011)年に新築された荘厳な権現
造りの社殿が聳えている。一番手前が拝殿その奥に釣殿、弊殿と続き、
最奥がご本殿である。
境内には干拓の功労者、津田永忠の像も祀られている。



 末社も多く、中でも最大は道通宮で、豊臣秀吉の水攻めで知られる備
中高松城主・清水宗治の次男「長九郎」所縁の社である。
 哀れを誘うのが、本殿の背後にひっそりと佇む「沖田姫神社」である。
難航した最後の潮止め工事では、「きた」という若い女性が人柱として、
龍神に捧げられた。



 神社の本殿下に五輪塔と祠があり、人柱となった女性を祀ったものと
の説があるが、何れも伝説で史実かは不明らしい。
 しかし「きた」は、干拓地の鎮守神「おきた姫」として、今では当神
社の祭神となり、地元では深く敬愛されている。(続)





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