「城門を出づれば、坂を下ること急なり」
門を潜るとその先の街道は、左右に屈曲した京口坂を下って行く。
かなりの急坂で、坂の下には野村の集落が広がり、坂の上には亀山の過
ぎたるものの一つと言われた豪華壮麗な京口御門が聳え立っていた。
そこは広重の描く東海道五十三次の「亀山 雪晴」として描かれた場
所で、広重は南東側からやや俯瞰して描いている。
古松の植わる積雪の急斜面を、雪もおさまった朝焼けの中、前泊は関宿
であろうか、早立ちの大名行列が上っている。
坂には大正3(1914)年に京口坂橋が架けられ、かつての急坂の道筋
は解消された。亀山宿の終わりを告げる急坂は、今では緩く下りながら
真っ直ぐに西に向かう。
次の関宿までは、凡そ一里半(凡そ5.9㎞)と近い。
京口御門を抜けると街道には、西の要衝を守るように照光寺、心光寺、
永信寺、慈恩寺、光明院などの寺院群が寺町を構成している。
これが見られるのは何所の城下町でも馴染みの光景で、一朝有事への備
えである。
途中で目にする「森家住宅」の主屋は、国有形文化財指定を受けた建
物である。切妻桟瓦葺で、妻を漆喰で塗り込め、正面上屋は黒漆喰真壁、
下屋に格子を嵌め、堂々とした平入りの建物で、その姿は典型的な町屋
建築の表構えという。
又、「内池家」主屋は、明治天皇お召し替え所と伝わる屋敷だ。
三重県御行幸の折り、伊勢神宮内・外宮参拝後当地に立寄り、陸軍の大
坂鎮台を二日間に渡り視察された。
その折り当家でお休みになり、下賜金三円を賜わったと言う。(続)
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