嘗て京口御門が構えていた京口坂には大正時代に橋が架けられ、今で
はなだらかに西に向かう下り坂となり次の宿場関を目指して延びている。
その京口坂橋を渡り、数多くの寺院や「森家」、「池内家」の住宅など
を見て800m程進むと、町並の向こう屋根越しの大きな木が見えてくる。
日本橋から106里12町、三条大橋から17里32町の距離にある「野村の
一里塚」である。南北両側にあった塚は、大正時代に南側が取り潰され、
北側だけが残されている。
三重県下には12カ所の一里塚が設置されていたが、今に残るのはこの
一カ所だけで、国の史跡に指定されている。
地面を鷲掴みするかのように、巨大で力強い根を張って聳え立つ巨木
は、ムクの木である。塚の多くには榎が植えられるだけに、ムクは全国
でもここだけという珍しいものだ。
幹周り6m、高さ20m、樹齢は400年と言う堂々とした大木である。
旧東海道は野村の一里塚の先、公民館のある三叉路を右に取り、布気
の「皇舘(こうたち)大神社」を左に見て進む。
鬱蒼とした森に鎮座する当社は、布気神社としても知られている。
この辺りを野尻村と言い、門前町であり上り下り立場が有った場所で、
ここには能古(のんこ)という茶店が有ったと伝えられているが、今は
人家も乏しく、神社の森だけの寂しい場所である。
その先で昼寝観音のある観音坂の急坂を下る。
街道は旧国道1号線布気の交差点に出て、右手に亀山バイパスと東名
阪への取り付け道路が近づいてくる。
隣接して併走する関西本線を陸橋で越え畑の中を暫く行くと、左手から
鈴鹿川が寄り添い、ここから暫くは気持ちの良い土手道を歩く事になる。(続)
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