簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
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坂本龍馬・お瀧結婚式場跡とYH(東海道歩き旅・山城の国)

2024-10-16 | Weblog
 青蓮院から三条通りに戻り暫く行くと、通り沿いのマンションの前に、
「坂本龍馬 お瀧 結婚式場跡」と刻まれた石柱が建っていた。
NPO法人京都龍馬会が平成21(2009)年に立てたものだ。



 説明板によると、嘗てこの地には、青蓮院の塔頭・金蔵寺が立地して
いたという。お龍の父・楢崎将作は金蔵寺に仕える医師だったことが縁
で、ここの本堂で住職・智息院(ちそくいん)が仲人を務めた。
元治元(1864) 年8月の事で、二人は内祝言を挙げた。



 当時は池田屋事件(6月)や、禁門の変(7月)が起き、京の町中は
物情騒然としていた。京の南伏見の寺田屋騒動が起きるのは、その2年
後の慶應2(1866)年1月の事である。



 龍馬は、結婚生活を楽しむいとまもなく、薩摩島津家の要望で、対立
した長州毛利家との和解に奔走し、二人はながく別居夫婦だったようだ。
激動の時代を生きた二人はその後揃って京都に戻る事は無かったという。



 余談になるが、この場所には平成23(2011)年まで、「東山ユースホ
ステル」があったが、40年の歴史に幕を閉じ、今のマンションに建て替
わったという。

 ユースホステル、略して「YH」は、「青少年の健全な野外活動や旅行
の拠点として設けられた安価で健康的な宿泊施設」のことで、昭和の時
代に最盛期を迎えたが、今では、減少傾向に歯止めがかからないようだ。



 ペアレント(管理人)と、訪れたホステラー(宿泊者)との夕食後の
交流(ミーティング)が楽しく、全国を旅する中では、何度も、と言う
よりは若い頃は、殆どがYH泊まりであった。



 会員に成り、各地のYHを利用してきたが、流石に最近では遠退いた。
今では随分と衰退したらしく、会員も施設も激減しているという。

 ここがYH跡と聞いて、懐かしいあの頃が思い出されてきた。
突然懐かしい旧友に再会したような気分である。(続)



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