簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
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食べたまま、書いてます。

急がばまわれ(東海道歩き旅・近江の国)

2024-05-10 | Weblog
 「上り下り立場、左いなり宮 右姥が餅や」



 趣ある町屋が残る街道を行くと、道筋に「瓢泉堂」という店が有った。
元々この店は、姥が餅店であったが、店主が代替わりして移転した。
その店舗を継いだのが、斜め向で瓢箪造りを続けていた当店だという。



 旅人は、姥が餅を食べて、向かいで水筒用にと瓢箪を買った。
瓢箪は無病(六瓢)息災の縁起物として、又装飾品として愛用され、人
間と同様2つと同じものがないのが特徴という。
 水はもちろん、お酒を入れる容器としても使ったらしい。当時この辺
には瓢箪を売る店が6軒ほどあったが、今に残るのはここだけという。



 店の前に、寛政10(1798)年に建立された道標が立っている。
歌川広重の「東海道五拾三次之内 草津」の風景でも描かれた道標で、
「右やばせ道 是より廿五丁 大津へ 船わたし」等と刻まれていて、
「やばせ道」への案内だ。



 「やばせ道」は、西方へ一里弱、琵琶湖畔の矢橋湊へ通じる道だ。
湊からは対岸の大津へ「矢橋の渡し舟」が有り、その距離は五十町程だ。
瀬田を回る東海道よりは近道になり、矢橋浦の船持ち等が、利用促進を
願い道標建立を請願し、実現されたものという。



 俗謡に「瀬田に廻ろか矢橋へ下ろか ここが思案の姥が餅」、「武士
(もののふ)の やばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋」

 旅人は、ここで茶を飲み姥が餅を食べながら休憩し、東海道を瀬田橋
廻りで行くか、矢橋道を経て湊から船で大津へ渡るかを思案した。



 舟なら歩かずにすみ、楽で近道であるが、湖が荒れれば舟は出ない、
又風待ちで何時間も待つこともあり、何より難破の危険も孕んでいる。

 急ぐなら遠回りでも、より確実で安全な方を取れとの格言で、この
ことから「急がば廻れ」という諺が生まれ、ここがその語源となった。(続)




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