東海道は西の追分けを右に取り進路を北に向け暫く国道1号線を歩く。
次の坂下宿へは一里半六丁(6.5㎞)、鈴鹿峠に向けた緩やかな上り坂が
待っている。
ガイドブックにはこの辺りに、「転び石」が記載されているが、見落
としてしまった。右側の駐車場の敷地の中にあったらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/99/e1651e3ce0b029a3b82456735f919ee4.jpg)
鈴鹿川が一ノ瀬川と名前を変える辺りで、右の旧道に入ると市瀬の集
落に入る。とは言え人家が密集している訳でもなく、人も車も殆ど通ら
ない長閑な里山だ。この辺りまでは、所々で旧道が残されているものの、
多くは国道1号線を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/ab/04a07512011bd81aac128e43274701f2.jpg)
峠に向かう、或は峠を下る多くの車が、信号や溶断歩道の少ないのを
良いことに、恐ろしいほどの勢いで行き交っている。
歩道のガードレールが無ければとても怖くて歩けない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/5f/b5875551f2069da2bad5818ea922b139.jpg)
関と坂下の中間辺りに位置する、筆捨の集落に入ると、右手に筆捨山
(285m)が見えてくる、とガイドブックにはある。
江戸時代から知られた名勝で、立場があり、峠を上り下りする旅人は、
筆捨茶屋で身体を休め、鈴鹿川と対岸の山を眺め、四季折々の景色を楽
しんだという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/04/6410c088eddd76e82b44c7d268630bbd.jpg)
説明によれば、室町期の画家・狩野元信がこの山を描こうとしたが、
雲や霞が立ちこめ、日々刻々山の姿が変わってしまい、とても画けなく
てとうとう絵筆を捨ててしまったとの言い伝えから、岩根山がこのよう
に呼ばれるようになったと言う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/b0/df929b32408c54347505ee587cba6e46.jpg)
今はそんな茶屋も無い農家だけの集落で、あれが・・と思える山は、
嘗ては山頭まで巌が見られたと云うが、木々が生い茂ったのか、取り
立てての景観でも無い。
恐らく・・とは思うが、実際にどの山が筆捨山なのか分からないし、
聞こうにも人の姿さえ見えない寂しいところだ。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/b6/4f50c105634fdf85a806cfb86282ed2c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c5/608a98fcd1340cbecac4921275227ec4.jpg)
![にほんブログ村 旅行ブログへ](http://travel.blogmura.com/img/travel88_31.gif)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます