野路の玉川(十禅寺川)を後に、しばらく歩くと小さな島のある池が
見えてくる。池の中の浮島には「浄財弁天様」が祀られていることから
「弁天池」と呼ばれる池だ。
周囲1㎞にも満たないが、一回りする散策路が整備されているようだ。
弁財天の起源は、水の神と言われていて、恵の雨を降らせ、豊穣をも
たらす神として信仰されてきた。又技芸運の神としても崇められている。
水不足の年には、雨乞いや豊年祈願の祭りを行った池であろう、と地
元には伝えられているが、現在では農業用のため池という。
地元では、この池に纏わる、村百姓の娘「つゆ」と、膳所藩や西国大
名の飛脚御用を勤めていた江戸の日野屋重兵衛店の奉公人「喜助」との
悲恋物語が語り継がれている。
又、島には狸の親子が住み着いており、夜な夜な石橋を渡って町に遊
びに来るとか、その昔、日本左衛門が隠れ住んだとか、古くから有る池
だけに様々な伝説が語り継がれている。
草津宿を出て野路に到る間には、昭和初期の頃まで街道に多くの松並
木が残されていたらしい。
その一つ矢倉にも見事な松並木が残されていたが、昭和9(1934)年
の室戸台風で多くが倒れたと言われている。
嘗て池の前の街道にも松並木があり、時代劇の撮影が行なわれたという。
街道歩きのガイドブックでも、「幾らか松並木の残る道を・・・」等
との記述が見られるが、松並木は高度成長期以降、道路の拡張や、ベッ
ドタウンとして発展する途上での宅地化等で、急速に、悉く失われ、今
そんな名残は何所にも見られない。(続)
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