簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

元白須賀 (東海道歩き旅・遠江の国)

2020-12-18 | Weblog


 浜名旧街道には、豊かな感性で当時のこの辺りの情景を詠んだ、歌が
幾つか残されている。

 藤原為家は、
「風渡る 浜名の橋の夕しほに さされてのぼる あまの釣船」
阿佛尼は、
「わがためや 浪もたかしの浜ならん 袖の湊の浪はやすまで」である。



 「立場立場と 水飲め水飲めと 鮒や金魚じゃあるまいに」

 その先の立場跡には殿様が、休憩する度に水を飲まされウンザリだと、
このように詠んだ戯れ歌が残されていると言う。
立場毎に休憩を取り、その都度水分補給を強いられる事に些か苛立ちを
覚えていたのであろうか。



 さらに「明治天皇御野立所址」などを見て進む。
江戸幕府が崩壊し、時は明治に移り、新政府の成立に向け、明治天皇は
岩倉具視らを従え、京を旅立ち、東海道を江戸(東京)に向かった。
旧東海道の街道筋には、至る所にこのような明治天皇が休憩された場所
も残されている。こちらも事情は同じようなものであったらしい。



 右手に「火鎮神社」を見る辺りが、白須賀の新町で、更に元町(本宿)
へと続く。嘗て「元白須賀」と呼ばれた200戸ほどの村で、「白須賀宿」
があった場所である。

 宿場は、宝永4(1707)年の地震による大津波で、「あらいの浜より
しらすがの宿おし流す」大被害に遭い壊滅してしまい、その後潮見坂の
上の高台に移された。



 嘗ての宿場は新居からは1里にも満たない距離に置かれていた。
街道筋には、一里塚跡や高札場跡なども残されている。
人も車も滅多に見ることの無い静かな通りの家並みは、落ち着いていて、
中には当時の面影らしき姿を残す住宅も幾らかあり、旧道の雰囲気を良
く伝えている。(続)





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