簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

飯田の町(JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-03-08 | Weblog


 飯田駅は飯田市の中心最寄り駅で、この路線の中にあっては代表的な
駅である。到着時刻は14時42分で、ここでは8分間の停車がある。
単式と島式ホームの2面3線を持つ大きな有人駅で、ここには駅長も配
され、特急や快速の停車駅でもある。
赤い屋根の駅舎はリンゴの赤をイメージし、平成に入り改築された。



 飯田市は長野県南部に位置し、人口およそ10万人、長野県では長野、
松本、上田に次ぐ人口第4の規模を誇る都市である。
南信州に位置しりんごの産地としても知られ、市内にある並木通には、
長さ450m程の「りんご並木」(日本の道100選、かおり風景100選)
もあると言う。



 飯田線の「Ω状の迂回」は、南信州の中心都市の中核部分に入り込む
目的が有ったようだ。
ここ飯田は南信州の交通の拠点でも有り、鉄道のみならず、市内の路線
バスや、首都圏、長野、名古屋に向けた高速バスも頻りに発着している。
今計画中のリニア中央新幹線の新駅も、この付近に建設されるのでは、
との話も取り沙汰されているようだ。



 飯田の駅の有る辺りの標高は、既に500mを越えている。
駅を出ると飯田線は次の桜町に向け少し上り、その後伊那上郡と元善光
寺の間では25‰の急勾配で一旦標高を下げ、下市田辺りからは再び緩や
かに上り始める。



 その先の市田当りから、「Ω状の迂回」で暫く遠退いていた天竜川が
車窓右手に再び近づいてくるが、この先には、名うての急勾配区間が待
ち構えている。
更に天竜川に並ぶ、新たな主役も加わることになり、車窓の景色はいよ
いよハイライト区間を迎えることになる。(続)





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Ω状の迂回線 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-03-05 | Weblog
 飯田線は伊奈八幡を出ると左に大きくカーブし、次の下山村辺りで、
進路を西に向ける。
そこは山間にあって比較的平坦に見える小さな盆地で、天竜川の支流の
松川や野底川が町中を流れている。



 鼎、切石と停車を重ね、その先で北東方向に向きを変え、更に東寄り
に進路を修正しながら飯田に向かい、次の桜町で東に向き、伊那上郡を
出て進路をようやく元の北に向ける。

 実はこの伊那上郡から直線で2㎞ほど南に行くと、先ほど進路を変え
始めた下山村の駅が有る。ここでは飯田線の線路が、その盆地の中を大
きく「Ωの字」を描くように迂回しているのだ。



 かつて「下山ダッシュ」が話題になった事があった。
このΩ形付け根の下山村と伊奈上郡は、鉄道で移動するより一旦下車し、
町中をダッシュした方が早く着けると言うものだ。
しかし、実際のルートを国土地理院の標高地図や道路地図などで調べて
みると、そう簡単では無い事が解る。



 この間の鉄道路線は約7㎞で、列車により多少の差はあるが標準的な
所要時間は13分前後である。
又途中の飯田での停車時間も色々で、中には30分近く停まる場合もある。



 仮に下山村駅で下車し、伊那上郡に向かうルートを地図で調べてみる。
この付近の標高は427m、この先で松川に架かる新飯田橋を渡り、更に支
流の野底川に架かる睦橋を渡るが、この間の800m程はほぼ平坦で標高差
はない。
ここから先は左岸に出て、1.2㎞北上するが、ひたすら上り道で伊奈上郡
では498mになり、この間で71mも上っている。



 今乗っている列車のこの間の所要は21分であるから、下りて猛ダッシュ
してもまず列車に追いつくのは無理であろう。
伊那上郡から逆に下っていくなら、なんとかなるかも知れないが、町中を
ダッシュで走り抜ける等は危険この上ない行為で、非難もあったようだ。
途中には信号機もあるであろうし、何よりも他の通行人にとっても迷惑こ
の上ない。決して勧められるものでは無い。(続)





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名駅舎 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-03-03 | Weblog
 飯田線では湯谷温泉駅が名駅舎として知られていた。
大正12(1923)年に、鳳来寺鉄道として開業した駅で、L形をした木造
の二階建ての大きな駅舎には、鉄道会社直営の旅館も併設されていて、
ステーションホテルの先駆けと言われていた。

 半世紀ほど前に初めて訪れた折に、目にしているはずだが、当時は全く
興味も無く、記憶にも残っていないが、今から思えば残念で仕方が無い。
そんな名駅舎も寄る年波には抗えず、令和に入ると早々に取り壊された事
をある日のニュースで知った。 







 駄科には廃線になった相対式ホームの名残がそのまま残されていた。
次の毛賀のホームには、山里の駅には珍しくモダンなガラス張りの待合
室がに設けられている。
そんな駅を車窓から眺めていると、1㎞程で伊那八幡に到着する。

 僅かな停車時間の間にホームから窺うだけで、全体を詳細に見られな
いのが残念だが、2面2線の相対式ホームを持つ無人駅の駅舎は名建築
として知られている。

 ホーム側の白く塗られた柱で組まれた上屋は味わい深く趣もあるが、
窓や扉にはアルミサッシがはめ込まれていて、残念ながらこれが歴史的
価値を低下させているようだ。







 ある物の本によると、「マンサハードの玄関に縦長の窓、洋館のポイン
トを押さえた駅舎で、伊那電気鉄道時代の大正15(1926)年に建築された
もの」だと書かれている。

 嘗ては「鳩ケ嶺八幡宮」参拝の玄関口に有り、観光駅舎であったらしい。
この八幡宮は駅の西500mほどのところに鎮座する、伊那谷を代表する宮で、
駅名もそれに因んでいる。
飯田線に急行列車が運行されていた時代は、その停車駅でも有った。(続)




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河岸段丘 (JR乗り潰しの旅・飯田線)

2021-03-01 | Weblog
 天竜峡駅を過ぎると、車窓の趣は少しずつ変わって行く。
厳しい山塊は徐々に遠ざかり、視界は開け、所々で小さな集落を見かけ
たりもする。
この辺りまで来ると、流石にトンネルを潜ることもなくなる。
遠くの山並み、長閑な里山の風景は、これまでとは違った趣を見せている。
鉄道の沿線に沿って延びる小さな町並は、ゆっくりと後ろに流れていく。



 川路、時又、駄科、毛賀と停車を重ねていくが、これらの駅間は何れ
も2㎞にも満たない短かなもので、都会の電車並ではあるが人の乗り降
りは残念ながら殆ど無い。
駅間が短いのは、飯田線の前身である伊奈電気鉄道時代の名残だ。



 だいぶ高度も上がってきたようで、どうやら飯田線は、河岸段丘の段
丘面を進んでいるようだ。
ここは東の伊那山地、西の木曽山地に挟まった盆地で、土地自体はかな
り起伏の厳しい、所謂「伊那谷」と言われる地である。



 天竜川は遙か先の抉られた段丘崖の底を流れているらしく、車窓から
直接川の流れを目にする事が殆どなくなった。
天竜峡駅で382mあった標高は、駄科では411mになり、5㎞ほどの間
に30m程上っている。しかし川路や毛賀では一旦標高が下がっていて、
盆地とは言え、起伏のある地と知れる。



 川路駅は、開業当初は「伊那川路」と言った。
地名が示す通り、伊那谷の天竜川の川筋に開けた町らしく、この辺りの
標高は一段と低くなっている。
その為駅周辺は、「三六災害」「五八災害」など、度重なる大きな水害
の受難の歴史があると言う。



 伊那谷を行く飯田線は、その先からは更に高度を上げていく。
その行く手には名うての急勾配区間も待ち構えている。(続)





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