下津井港の近くに、「まだかな橋」跡の石碑が建っている。
嘗てここには、湊に渡る橋が架けられていた。
瀬戸大橋の工事に伴って湾岸道路の建設の為、海は埋め立てられ陸続
きとなり、橋は無くなり道路に変貌した。
目の前の道路は、この橋跡の前でほぼ直角に左折、海に突き出た祇
園神社の小山を回り込むように迂回している。
「昔はこの道路のところは海で、家を出ると目の前が浜だった。
本当はこの道、真っ直ぐトンネルで西に抜く計画だったが、祇園社の下
は掘れなかった」
「むかし下津井回船問屋には、昔の橋の写真が残されている。
子供の頃には遊郭が五軒程有った。昭和の中頃まで一軒だけ残っていた」
写真を撮っていると、この橋の前に住むお年寄りが、話しかけてきた。
下津井には昔から「下津井節」という良く知られた民謡があり、北前
船が持ち込んだと言われている。
「下津井港はヨー~♪」と歌い出し、最後に「トコハイ トノエ ナノ
エ ソレソレ」と言う囃子言葉で締めくくる。
それは、馴染客(トノエ)と遊女(ナノエ)が床を這う(トコハイ)と言
う意味らしく、男女の秘め事を「ソレソレ」と囃し立てる艶っぽいものだ。
ニシン粕や蝦夷地の特産品を満載した北前船が湊に入港すると、下津
井の遊郭から遊女達が客引きのためこの「まだかな橋」に集まってきた。
懐かしい、馴染みの上陸を、今か今かと待ち焦がれ、「まだ上がらんな」
と誘いをかける。
瀬戸内の小さな湊町で繰り広げられた、出会いや別れの艶話、多くの遊
女の悲哀話しは、今歌手・中村美律子の「下津井・お滝・まだかな橋」で
歌い継がれている。(続)
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