先日、気について考えていた。びくも、気の使い方ではないか。この気は、呼吸の仕方にも通じるし、心気の気にも関わる。と、考えていたところ、ちょうど宝達志水の試合へ行くと、押水の会長さんが気について語られ、県連の会長もその話を引き継いで、心気についての話をされた。
これは、わたしに、もっと深く考えなさいよという神の声と思えた。
射についての呼吸の仕方は、丸秘帳にしたためるとして、一般的な「やる気」「中て気」が、顕著に試合で出た。日頃から、道場で「びく」の原因と解決策に奮闘しているわたしは、呼吸をこうしたらどうかと、同じ立ちの田○さんに話していた。道場でも、田○さんは、引き分けが楽になる気がすると同意してくれたが、何しろ修行中の身、実績は伴っていないので、繰り返しの稽古で積み上げていかなくてはいかんねと話し合っていた。
この日、1回目の立ちで、わたし達3人は、それぞれ2本抜いてしまったので、団体優勝は難しいと思った。なでしこジャパンのように「あきらめない」という気力は、弓道では少し違うように思える。少しの気負いが自滅の道につながる。
同じ立ちの、田○さんも、吉○さんも近年随所で活躍し、ふたりとも8射皆中で優勝もしている実力者だ。うまくいけば、団体優勝は夢ではないが、すでにチームで17中出しているところがある。2回目の立ちで12本すべて中てなくては無理である。
2回目の立ちに入るとき、前の田○さんには、「もう、中たりのことを考えずに、例の呼吸がうまくできるかだけ考えようと思う」と、いうと「自分もしてみます。」と、言われた。後ろの吉○さんには、「優勝の道はただひとつ12射皆中なので、誰かが最初に1本抜いたら、袋叩きやね」と、冗談を言った。
結果、ひたすらプレッシャーを受けた吉○さんは、不調となり、わたしの田○さんは3中した。心の素直な先輩は、わたし達の冗談を一身に受けてしまった。
過去に、わたしにも経験がある。県の選手権で予選トップ通過し、意識して自滅。全国大会で、予選通過して勝ち上がり、無我夢中の間中たっていたのに、我に返って自滅。
この自滅の繰り返しを、心気の鍛錬で平常心に持っていくために、まだまだ修行しなくてはならない。
その糸口は、どう引くか・・を、自分で意識していくこと。その方向が間違ってさえいなければ、必ず前進する。そうです、間違ってさえいなければ・・・・