仕事がら、PCを見続けているせいか、本当に目が悪くなり、夜の稽古では、矢がどこへ行ったか分からない。目のせいで中たりが落ちたとは言えない。もし、よく見えていてもさほどの的中率はないのだから。
よく、身体的な不具合を理由に言い訳をする人がいる。自分はそんな言い訳はしないように心がけてはいるが、誰かに、矢が前にかたまっていたねとか、言われたらいけない。「修練不足で・・」という回答以外にないのに、事象を言ってしまう。ちょい、目がみえなくてとか、後ろに立ったとか、押しが利かなくてとか。風が吹いたとか。
そうではなかったら、全部中たって、すばらしい射ができるのかい?と、言われたら、入る穴を探さなくてはならない。
そんなとき、宮本武蔵の「観の目つよく、見の目よわく」という言葉を、本の整理をしていて見つけた。
的を見る目だけで、弓を引いているのではなかろう。
「目の付けようは、大きに広く付くる目也。観見二つの事、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見る事、兵法の専也。」
目には観の目と見の目があるが、観の目を強くし、見の目は弱くする。離れた所の動きを掴み、身近なものは離して見る事が兵法の上で最も大切であるというような意味。一般的に、心で見るのが「観の目」、目で見るのが「見の目」だと解釈される事が多い。
目に見える的にとらわれず、身体全体で弓を引き、素直に十文字に離れれば、おのずと矢は的に着くはず。まだまだ修行が足らない・・・。