まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

食べるものが危ない

2012-11-06 | 暮らし

病院から戻り、食事の支度をするが、前と違ったことに気付いた。

化学調味料のにおいを嗅ぐと、食欲がなくなる。暇があるので、昆布やかつおぶしで出汁をとると、気持ちが安心する。冷蔵庫に、得体の知れないものがあったのを、すべて捨てる。体によさそうな名前で売っているが、ラベルを見ると、理解不能なカタカナのものが明記されている。甘味料(スクラロース・アスパルテーム)。臭いをかぐと分かる。人間は、臭いを嗅ぐことで、食物の危険から自分の身を守るはずなのに、いつの間にか、人工的な臭いに誤魔化されていたのではないか。また、糖質ゼロという名のもとに、本質を見失っていないか。

体が元気な時に気付かなかったこと。でも、元気な間に、気づかなくてはならないことを、強く思う。商業的に、食物が作られていることは怖いことだ。

我が家の周りの田んぼに、夏までにヘリコプターで農薬がまかれ、田んぼのあぜ道には、除草剤が撒かれている。気づいているのに、気づかないふりをしていた今まで。

忙しさは罪悪だなあと思う。食べ物があふれている世の中に、食べるものがないうという矛盾。


へうげもの

2012-11-06 | 暮らし

借りて読ませてもらっている「へうげもの」、15巻まで読み終えた。

病院のベットの机に、載せてあったら、先生が「あ、へうげものだっ!わたしも読みました。」と、言われたが、本当は「ひょうげもの」と、発音して貰いたかった。しかし、大切な点滴の針を刺すときだったので、黙っていた。抗がん剤は、血管からもれたら壊死するというではないか、ただでも小百合さんの柔肌に針を刺す緊張感を強いられる医師にたいして、ひょうげものの話をしては、動揺するだろう。

利休が殺されるあたりから、だんだんはまっていって、関ヶ原の戦いでは、改めて徳川家康と、それをとりまく、あまたの侍たちの心理、裏切り、寝返り、単純に天下分け目の戦いが終わったのではないことを、知ることになる。

今まで、何も知らなかった。この世の中には、知らないことが多すぎる。そして、行く道も多すぎる。ipadも欲しいが、使いこなせない気がして躊躇する。

病院では、何回も入退院を繰り返していると、仲間が増えてくる。社員食堂のように、食堂でごはんを食べるので楽しい。

「治ったら、マチュピチュヘ行きたい」と、言う私に、病院の先輩は「あそこは、行くのに2日間飛行機に乗り、行ったら行ったで、酸素が薄くて登れんかもしれんから、もっと体力をつけてからでないと」となると、万里の長城も歩かなくてはならないので、難しいねと思っていた矢先、雪で遭難というニュースが入ってきた。

「もう一度、ポンペイへ行きたい」と、言うと「わたしは、イタリアへ行ったけど、ポンペイは行ってないわ。ナイアガラの滝は行った?」「行ってない。行きたい・・・行ったら、絶対病気なんて治るよね」、行く暇がなくて病気になるのだ。

話は大きくなる。戦っているのは病気にではなく、化学療法である。大半の医者が、自分は受けたくないという化学療法、いわゆる抗がん剤はやっかいだ。病気は治れば、日に日に元気になるが、こちらは、回数が増すごとに、元気を奪われ、白血球がなくなり大変だ。いつも、採血して白血球の値を気にしなくてはならない。好中球が下がったら、アウト。外出禁止、食事制限、免疫力低下のためにいろいろな制約がでる。

小さな病室の空間から、気持ちは広がる。きっとナイアガラの滝に行くから、いや、その前に道場へ行かなくては。