4年生の子どもの国語の本に詩が載っていた。
「しんぴんのあさ」 まいにちおんなじみたいだけど / まいにちいろんなことがおこる / こりゃおどろいた / おやびっくり / へええなるほどな / ふうんそうか / まいにちしんぴんのあさがきて・・・。
毎日、新品の朝がくる。それなら、夕方は朝がよれよれになっているわけだ。そこには、もう「しんぴんの朝」はない。夜は、くたくたのよれよれのおやすみになるのか。
それでも、確かにしんぴんの朝は来る。生きている限り。いくつになっても、知らないことは限りなくあって、そこには昨日と違う何かがある。
子どもと一緒に朗読すると、そのまま自分も子供になって、新品の朝が毎日来る気がする。わたしは教育者ではないので、上から指導することはない。子どもの目の高さでしか子供をみることが出来ない。
横に並んで、いっしょにしんぴんの朝を迎えて、家にいることが出来ない子に寄り添っている。
もしかして、わたしも家にいることが出来ない寂しい大人かもしれない。