まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

ふっくらおじさん

2018-05-04 | 暮らし

弟が帰省したので、孫を連れて実家へ会いに行った。kouとkenは、あいちゃんに会えるからと言うと、「久しぶりや」と、言ってついてきた。kouにとって七つ上のあいちゃんは、特別だと思う。kouは保育園の時に、初めて小学生のあいちゃんに会った。父の作った山の小屋で囲炉裏を囲んでしいたけを焼いていた。あいちゃんは、無口でkouはひとりでしゃべっていて、帰りの車の中で、ひとしきり「あいちゃんは、いいなあ。」「大好きや」と、言っていた。たぶん保育園の子供と、家へ帰れば、爺、婆ばっかりで、少女に会ったのは、この時初めてなので感動したのだと推測した。

さて、弟に会って開口一番「わー太ったね」と、言うと「そうはっきり言うかな」と、言うので「あ、ごめん。ふっくらしたねえ」と、言っている間、6年と4年のkouとkenは、あいちゃんに会ったせいか、めちゃくちゃテンションがあがって、座敷や茶の間を走り回るは、互いに取っ組み合うは大変。

あいちゃんと3人で写真を撮るよ。と、言うと、変顔ばかり。

さて、帰りがけに、ふたりとも、ありがとう。さよなら。と、玄関に見送りに出てくれたみんなに元気よく挨拶した後、kenはわたしの弟に向かって「ふっくらおじさん、さよなら」と、言って皆を笑わす。

大人の話しを、聞いていないようで聞いているんだ。と、改めて思った。

車に乗ったkouは、「あいちゃん、ちいさいね。もっと、大きかった気がする」 自分が大きくなったのだ。ちなみに、わたしより大きくなった。ふっくらおじさんの娘、あいちゃんであった。


がっぱになる

2018-05-04 | 暮らし

加賀地方の方言で「がっぱになる」と、言うのがある。何でも必死ですることを言う。「がっぱんなって勉強したら、なんとかなるやろ」とか、「誰やら、がっぱになって走っとったわ」その、がっぱに・・というところの発音は「がっぱんなって」となる。殆ど使われなくなった。年寄りしか通じない方言かもしれない。

弓道の稽古の帰りがけにTさんが「今日、筍を買いに行ったら、もう店になかったんですよ」と、言うので、「筍は買うものじゃないよ。掘るもの・・明日掘ってあげる・・」と、約束した。それで、翌日5月2日に、朝早く実家へ行って筍を掘る。あちこちに筍が育って、若竹に成長しそうな勢いだ。もう柔らかそうな筍にはありつけないか、せめて1本でもと歩いていると、崖の方に柔らかそうなのがあった。いくつか必死で掘った。力がないので打ち欠くともったいないので、ついつい大きな穴になる。まるで猪が荒らしたようだと毎回思うが、良いのが掘れた。力ない小百合が筍を掘るなどは、想像もつかないだろう。おまけに、汗が出てきて虫の襲撃に遭いそうだったので切り上げた。これからは、山には虫よけスプレーは必須である。

日頃、一緒に稽古に付き合ってくれるTさんに渡すと、おおいに喜んでいた。「フルセットね」と、言って、米ぬかと鷹の爪も一緒に渡した。

さて、今日になって、手首と腰がおかしい。手首は捻ると痛い。これはがっぱになって掘ったからだと思った。しかし、頭の中に浮かんだ「がっぱ・・」もう、娘たちは使わないだろう言葉。「がっぱ」になって働いて、勉強して・・と、この後、京都で審査を受けるのに、一生懸命筍を掘っている場合ではないのだ。