日本の弓技は、そのほぼすべてが「日置流」からの派生だといわれる。
『四巻の書』の原書は西暦1600年頃に日置流の石堂竹林坊如成によって成立し、その原書を著したことで竹林派という新たな部派を派生させた。
この流れを継いだ江戸時代の弓人吉見順正が残した『射法訓』がある。
吉見順正を知らない弓道人はいない。
なぜなら、どこの弓道場にも『礼記』とともに掲げられているからだ。
さて、この本に興味を持ってネットで注文した。
かみ砕いた解説があるので読めるのだが、冒頭に「修行が進み行き詰ったと感じた時に、鍛錬することをやめて文書や理念に答えを求めようとし、一時的であっても、実修行から逃走する態度としてこの書を使わないこと」と、ある。
秘伝の書を読んだからと言って、うまくなりはしない。
重々承知の助である。
何といってもこの書が生まれたのは、剣豪宮本武蔵の時代である。
武蔵の『五輪の書』のようなものが、弓においても存在したことを知るために読んでみるのだが、ハードルは高い。
「當顔衆生、百八惱煩、無量重罪、則時消滅。」
まずここから始まる。
小さい時、祖父が仏様の本を読んでいた。
全く分からない只々漢字が並んでいるだけなのに、祖父はいつも心穏やかに読んでいた。まるでお経の本のようである。
わたしもいよいよ仏門に入る年になったのだろうかと思える。
このあと書き下し文があり、解説があるので、かろうじて読み進むことが出来るのだが、時折興味深い文に出会うことがある。
弓道に関しては、『弓道教本』の教えと何ら変わらない。
わたしたちが学ぶ教本は、この昔からの思いを十分に受け継ぎ、盛り込んであることが、改めて分かる。
さて、この宗教的な書をどのくらい消化できるのか。
そして、これを読んでも絶対にうまくはならないのであるが。
「実践究理」「自彊不息」
平たく言えば、引いてなんぼ。休まず稽古せよ。
稽古を積んで、身体で会得せよ。を、念頭に読まなくてはならない。
道場は寒いなあ。こたつに入ってぬくぬくと本を読んでいたいなあ。
と、いうのでは成長はない。
しかし、何十年成長があったのだろうか。
才能がないのにただひたすら弓を引いてきたのは何だったのだ。
ところが、そこにも意味はあるのである。
乞うご期待