まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

報恩講

2022-12-14 | 暮らし
昨日と今日はみぞれの中で報恩講のお手伝いをした。

朝、おぶきさんを仏壇にお供えするところから始まる。
何でおぶきさんっていうのだろう。おぼきさんとも聞こえる。



毎年報恩講には、檀家の当番の人が、町内の檀家の家を住職を案内して歩くのだ。
前回、平成26年の当番表は殿の名前だった。
殿が動けなくなって、わたしが代わりに出たのだった。
今回、要領は分かっているが、知らない人の家もあるので、地図にマーカーで印をして下見もした。
狭い路地も多く、空き家になったところや、新築になったところもあって、戸惑うのだ。
町内の檀家数40件で、4班に分かれて2日間。
なので、20件周ることになる。
田舎の先祖代々の家の仏壇は見事だ。
仏間があって、欄間があって、座敷が三部屋続きで、廊下が長くて、という家がざらにある。
我が家は、舅が次男だったので、建てた家も仏壇もこじんまりしている。
本家か分家かすぐ分かるのである。

浄土真宗の報恩講は500年前から行われているそうで、住職は正信偈の後に蓮如さんの御文を読む。

さて、わたしが嫁いだ頃、この報恩講は、家族一同で住職を迎えなくてはならないから会社を休むように言われた。
また、我が家で必ず休憩されたので、コーヒーを出したり、昼食の当番のときも休まなくてはならなかった。
しかし、今はどこの家を周っても、年寄りしかいない。
先祖代々でも息子さんが都会に出てしまったりで、高齢夫婦か、旦那さんひとりの家もあるし、お婆さん一人の家もある。
我が家もこの後、お婆さん一人の家になる。
うちのように、娘達が嫁いでしまった家はもう檀家も終了になる。

先祖代々の宗教で、守られてきたのだと思えるが繋げていけない。
今の世の中の新興宗教などが入るスキがないのは、ある意味守られていると言っていいのではないか。
一家の中で大切な人を失うと、余計に心の拠り所は必要と思う。
手を合わせて念仏を唱えるだけでいい宗教などは他にない。
お布施も法外に取られるわけではないし。
ありがたや・・・と、ついに婆さんになってしまった。

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