弓道場の的貼りをした。
中学生もエプロンを持ってきて、慣れた手つきで手伝ってくれる。
さて、のりを溶かすときに、1袋しかないことに気づいた。
いつも用意してくれている方が、お休みしていて気付くのが遅れた。
今ある分だけ溶かして、急いで近くのドラッグストアへ走った。
しかし、障子張り用の糊は殆どチューブだ。
辛うじて2袋だけあったので買って戻る。
3階までの階段をヒーヒーと上りきり、何とか間に合った。
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考えてみたら、弓道というのは、なんと非生産的で、ひたすら的に穴を空けて破壊的な競技であることか。
その中で、「真善美」を目標とし、「弓は立禅」と掲げ、「平常心」と、言い、さらに「尽くして求めず」と、言いながら的に中てようとする。
今月号の「月刊弓道」で、「近代における弓道の形式」という、武道としての弓道の形成としての記事があった。
江戸幕府が黒船来航に備え、国防力増強を目的とするようになったころ、まさしく今やっている「青天を衝け」NHK大河ドラマの時代背景。
西洋式軍隊になり、弓術は廃止され砲術に取って代わった。
武器としての実用性を失い、明治維新を迎え、矢場での弓が流行。
それは遊興の場だった。
さて、そこから今のわたしたちが習う弓道に至るまでの努力は、ここでは書ききれない。
結論は、この格式のある弓道にまで導いてくれた先人に頭をたれ、自らの力不足を真摯に反省しながら、疑いを持たずに、道場の仲間と楽しく的を貼らなければならないと思った。
決して皆の前では破壊的だと言わず、きれいな的にして、破壊をなかったことにする。
そだね。中っても外れても、みんな無かったことみたいになる。
無常を知ることも弓道かもしれない。
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