ずっと日記をつけていた。何かあるとは書いていた。メモや、新聞の切り抜きと一緒にノートにぎっしり。
5年日記をつけ始めてから、出来事のメモしか書かなくなった。
昔の日記に書いてある家族の会話。どこをあけても、可笑しいことや、楽しいことばかり書いてある。
殿と喧嘩を殆どしたことがない訳も少し分かる。殿がわたしに呆れていたからだ。喧嘩をしても仕方がない奴だったのだろう。「あんたのおかげで、一生退屈せんわ・・。」と、半ば呆れていた数々の失敗と言動。
1994年12/17土曜。
会社の特許の研修に出かける。sigeさんに「午前中研修会、1000円貰ってコーヒー飲める。」「それ、いいんなあ。午前中ぼっーとしとるくらいなら。」「あ、お願い。階段拭いて、洗濯干しといてー。そしたら、いいもんあげるし。」sigeさんは、嬉しそうに「何や?!」と、訊くので「輝かしい、主婦の座や。」「おまえなあ!!」
楽しければ楽しいほど、可笑しければ可笑しいほど、紙芝居が「おしまい」と、いう最後の一枚にたどり着くのが分かっていて、その1枚にたどり着くまでに、ぎっしり言葉の宝物を残しておきたいような気持だった。
書くことで何か安心した。手に入れられないものは、その時々の楽しい、嬉しい気持ちだ。あっという間に消えていくことを予測していたように思う。悲しみはしこりのように心に残るのにである。
何でもない日が、宝物のようになることに、気付いてしまった闘病の日々。始めは泣けて読めなかったのに、この頃は、泣かずに読めるようになった。
また、娘たちの可笑しい話も・・。小学生の娘が「おかあさん、大耳に挟んだんやけど!」「大耳!!」「おばあちゃん、耳悪いし、大声で言うっとったよ。梨あるし食べねって。」ひそひそ話すのが小耳なら、大声は大耳だったのだ。その、娘もいいおかあさんになってしまった。と、いうことはお婆さんになった者がいる。