まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

旧漢字 『知と愛』

2020-06-24 | 読書
前回に引き続き『知と愛』の話しであるが、話の内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになった。
何といっても日本語であると、簡単に読めると思っていたが日頃使わない字はなかなか前に進ませてくれない。
1ページ目から幇間的という言葉に出会って躓いた。
幇間的(ほうかんてき)いわゆる「たいこもち」であるが、日頃使わないので困った。
人の名で「亀太郎」が、出てきた時も、亀の旧漢字「龜」は画数が多くて黒くなっていて読めなかった。
これを拡大して書いてみると写生するより大変そうな字なのである。
そして、最後は芸術のように見える。もともと象形文字から出来たので見ていると字がのこのこ動きそうだ。
龜 かめ  鹽 しお 畫 えがく  晝 ひる
えがくと、ひるが似ている。
図画は、圖畫とかいてあり。「畫家(がか)と晝飯(ひるめし)を食う・・」と、なると、ふりがなが一切ないと読みづらい。

「縣廳」が、「県庁」と分かるまでに時間がかかったし、臺(だい)なしというのも、墓に似ていて老眼鏡や、拡大鏡を駆使しなくてはならない。大膽、體育・・・なるべくIMEパッドで済ませたが、熟語となると漢和辞典が登場してくる。久々に漢和辞典を見て思ったのは、すごい旧漢字全部載っている!!
当たり前かもしれないが、助かったと思った。
今の生活の中では、当用漢字で、もうひと時代遡ろうとすると大変なのである。さすがに10才先輩は、すらすらとあたりをつけて読んでいく。
日本語はどんどんカタカナになってついていけなくなり、旧漢字の良さも消えていく。
戀などは命がけでしたのではないかという字だ。
闘うなどは「鬭」字を見ただけで戦意を喪失しそうだ。
天稟(てんぴん)て何?生まれつきの才能のことをいうらしい。
蝨ってなに?虱だと・・。見るからに気持ち悪い気がする。

そんなこんなで、読むのに時間がかかったが、その中でいい言葉を発掘。
恩師が登場し、「自疆不息」(じきょうやまず)というのがあった。
自分からすすんで励み怠らない。コロナ禍のとき、1本でも引いて怠らないよう。
弓にまつわる漢字が入っているので何としても色紙に書いておきたい。
「疆」(きょう)は、強い、境目という意味があるらしい。
一田一田・・田んぼの境目を表す。弓を持って田んぼを守っていたのかは勝手な想像だが。

この本を読み終わったら、他の本がすらすら読めるという嬉しさが戻った。





古書『知と愛』

2020-06-24 | 読書
古書は読みづらい。しかし、がっぷり四つになって読むとそれなりの満足感がある。
但し、本は我慢して読むものではないと思っているので、日頃はこの本を読もうとは思わないのだが、本の整理をしていて勉強の意味で読んだ。
深田久弥の「知と愛」である。
深田久弥はヒマラヤ研究の本や、「日本百名山」の著書として有名だが、その前に何冊かの小説が出版されている。
正直言って読みづらい。なぜなら、漢字がことごとく旧漢字なのである。
日ごろ使わないので、対照表を見ながら読み進める。
どこの古書店にもないだろう貴重な本だ。昔の本は著作権者が奥付に押印した印紙を貼り発行部数の証拠としていた。


『知と愛』は丹頂書房と、河出書房がある。


河出書房のほうは、表紙をめくると見返しに著者の手書きの題名が印刷されている。これは貴重なものと思う。こちらは『續 知と愛』と、なっているが、出版は昭和18年で、昭和21年の方には続がついていない。順番で行くと当然『知と愛』が、先に出版されているはずだ。なので手元にあるのは好評で、戦後印刷されたと思える。
戦後の辛い時代に出したというのは、それなりに売れていたのだろうが、紙質が悪くて印刷も不鮮明で旧漢字を解読するのは目眩がしそうなので、角川文庫のきれいなものを読むことにした。これは昭和26年出版である。





内容は主人公大杉伴三が小説家として出てくるところから始まる。
山の本でお馴染みなので雰囲気は全く違う。小説であるから当然だが。
帰省する場面は大聖寺が舞台だと確証した。深田久弥の生家は大聖寺なのでそう思うが、金沢に住まいしていたこともあり、どちらも城下町で、鷹匠町は金沢にもあったというので少し迷ったが、町の名士の胸像の落成式で「てんぽなもんや」というところで、これは大聖寺弁・・・。
話しの内容はともかく旧漢字を飛ばさずに読むことは辛かったが、読み終わるころには何とか読めるようになったが、残念なことに字面を追うことに一生懸命で、話の内容が飛んでしまった。