アンコール・トムの北大門から1.5Kmほど北東にある。
境内は平面で堀に囲まれ、東西800m、南北700m。
12世紀末にジャヤヴァルマン7世が建設した「聖なる剣」と言う名の寺院。
境内で剣が発見された事からこう呼ばれ、
その聖なる剣はプノンペンの国立博物館に収められている。
そもそもはジャヤーヴァルマン7世の父ヤショーヴァルマン2世の王宮が建てられていたが
チャンパ王国のジャヤ・インドラヴァルマン4世が王宮を支配していた。
ジャヤーヴァルマン7世はここでジャヤ・インドラヴァルマン4世を討ち破り、
その跡に自分の父を模して彫らせた観世音菩薩像を1191年に安置した。
当時、寺院には千人以上の僧侶が住み、それを支える荘園が与えられ、
そこには97,840人が暮らしていたらしい。

やはり参道には両側に乳海攪拌を模した像があった。

結構広い敷地に小部屋が廊下で繋がれている感じ。
シヴァリンガやストゥーパがあった。

東門のガルーダの彫刻が素晴らしい・・・との情報で行って見たのがこちら。

引き返してきたら・・・・東西南北全てにあったようで・・・・ガックリ。
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境内は平面で堀に囲まれ、東西800m、南北700m。
12世紀末にジャヤヴァルマン7世が建設した「聖なる剣」と言う名の寺院。
境内で剣が発見された事からこう呼ばれ、
その聖なる剣はプノンペンの国立博物館に収められている。
そもそもはジャヤーヴァルマン7世の父ヤショーヴァルマン2世の王宮が建てられていたが
チャンパ王国のジャヤ・インドラヴァルマン4世が王宮を支配していた。
ジャヤーヴァルマン7世はここでジャヤ・インドラヴァルマン4世を討ち破り、
その跡に自分の父を模して彫らせた観世音菩薩像を1191年に安置した。
当時、寺院には千人以上の僧侶が住み、それを支える荘園が与えられ、
そこには97,840人が暮らしていたらしい。

やはり参道には両側に乳海攪拌を模した像があった。

結構広い敷地に小部屋が廊下で繋がれている感じ。
シヴァリンガやストゥーパがあった。




引き返してきたら・・・・東西南北全てにあったようで・・・・ガックリ。

