シャムリアップの北東35Kmにある。
バンテアイ・スレイの手前にあるので帰りに訪問する事をお勧めする。
カンボジア人アキー・ラー氏の個人博物館。
日本人には憶えやすいのでアキラ博物館とも言われている。

アキー・ラー氏とは

1973年生まれ、5歳の時に両親をクメール・ルージュに殺害されたが、
10歳でそのクメール・ルージュの少年兵となった。
13歳の時に侵攻してきたベトナム側に捕らえられ、
その後はクメール・ルージュと戦う。
1日に1000個の地雷を埋めた事もあると言い、
自らが埋めた地雷で多くの国民を負傷させてしまったと言う理由で、
現在もボランティアで地雷の撤去にあたっている。
昔は防護服なしで素手で撤去していた。
現在は防護服が義務付けられているが・・・
暑いカンボジアにおいては拷問のようであると言う事だ。

これは最初の自宅兼博物館。


博物館の入口には爆弾が展示されている。
手前の門の右側でチケットを買う。10ドル。


入ろうとすると・・・どこからともなく初老の日本人男性が現れた。
川ちゃんと名乗る男性はここの日本人応援団の代表で、
ボランティアでガイドをしていると言うことで案内して頂いた。
こちら
アキラ地雷博物館 日本人応援団。


これが悪魔の兵器「地雷」である。
地雷は人命を奪う事が目的ではない。あえて殺さないのだ。
その目的は負傷させる事にある。負傷者には介護者が必要である。
そうする事によって戦闘力を低下させ、治療費用を増大させ、
人々の心に恐怖心を植え付ける。だから悪魔の兵器と呼ばれるのだ。
一番小さい地雷はわずか300円ほどで作る事ができるそうだ。
たった300円で・・・・・その人の人生が奪われるのだ。

館内にはカンボジアの歴史についての資料もあり、
他の兵器も展示されている。博物館の裏側には、
ラー氏が面倒を見ていると言う孤児院がある。

カンボジア国内には現在でも600万個もの地雷が埋まっていると言われている。
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バンテアイ・スレイの手前にあるので帰りに訪問する事をお勧めする。
カンボジア人アキー・ラー氏の個人博物館。
日本人には憶えやすいのでアキラ博物館とも言われている。





1973年生まれ、5歳の時に両親をクメール・ルージュに殺害されたが、
10歳でそのクメール・ルージュの少年兵となった。
13歳の時に侵攻してきたベトナム側に捕らえられ、
その後はクメール・ルージュと戦う。
1日に1000個の地雷を埋めた事もあると言い、
自らが埋めた地雷で多くの国民を負傷させてしまったと言う理由で、
現在もボランティアで地雷の撤去にあたっている。
昔は防護服なしで素手で撤去していた。
現在は防護服が義務付けられているが・・・
暑いカンボジアにおいては拷問のようであると言う事だ。



これは最初の自宅兼博物館。


博物館の入口には爆弾が展示されている。
手前の門の右側でチケットを買う。10ドル。



入ろうとすると・・・どこからともなく初老の日本人男性が現れた。
川ちゃんと名乗る男性はここの日本人応援団の代表で、
ボランティアでガイドをしていると言うことで案内して頂いた。
こちら



これが悪魔の兵器「地雷」である。
地雷は人命を奪う事が目的ではない。あえて殺さないのだ。
その目的は負傷させる事にある。負傷者には介護者が必要である。
そうする事によって戦闘力を低下させ、治療費用を増大させ、
人々の心に恐怖心を植え付ける。だから悪魔の兵器と呼ばれるのだ。
一番小さい地雷はわずか300円ほどで作る事ができるそうだ。
たった300円で・・・・・その人の人生が奪われるのだ。

館内にはカンボジアの歴史についての資料もあり、
他の兵器も展示されている。博物館の裏側には、
ラー氏が面倒を見ていると言う孤児院がある。

カンボジア国内には現在でも600万個もの地雷が埋まっていると言われている。
