吉村昭の昭和の戦争シリーズの最終第6巻目。
1巻目が戦闘機の話、2巻目が戦艦の話、3巻目は潜水艦の話、
4巻目が脱走兵と捕虜たちの話、5巻目が沖縄の話で6巻目が戦後の話。
収められているのは「遠い日の戦争 / プリズンの満月 」など、
これは戦犯として捕えらえた人の話である。
戦争は最高統帥機関である大本営の命令で行われたわけで、
兵隊はその命令に従って作戦を遂行したわけである。
会社と同じで上司の命令がなければ行えないわけで、
独断で殺戮をしたわけではないはずである。
中には命令していないにもかかわらず勝手に捕虜を殺した、
などと証言した士官もいたようであるが。
インドに関した事だけはちょっぴり知っている私は、
1946年(昭和21年)5月3日の東京裁判に派遣された、
インドのパール判事(ラダ・ビノード・パール)の事は知っていた。
これは社会科で習ったし。
東京裁判になぜインド人のパール判事が選ばれたのか?
私の調べでは・・・インドはイギリスの統治下から独立しようと、
ネタジ・チャンドラ・ボースは日本に協力を求めており、
日本軍はミャンマーから国境を越えてインドのインパールに進軍した。
ご存じの通りインパール作戦は玉砕に終わったわけだが、
このインパールでの戦いでインドの独立が早まったと言われている。
またイギリスは勝つには勝ったが、日本の戦い方に敬意を示し、
東京裁判に日本に有利になるようにパール判事を派遣したらしい。
パール判事は東京裁判で判事全員一致の有罪判決に反対し、
平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、
事後法をもって裁くことは国際法に反するなどの理由で、
被告人全員の無罪を主張した。
吉村氏は1927年(昭和2年)生まれで、
徴兵検査の10日後に終戦を迎えたが、
当時は戦争が悪い物と言う考え方はなく、
戦争に負けるなどとはこれっぽちも思っていなかった。
その吉村氏の目から開戦前、戦争中、戦後に分けて、
いろいろな方向から見て、当事者から話を聞いて、
物凄い時間をかけて、苦労を重ねて全6巻を書いている。
戦犯の収容されていた巣鴨プリズンは池袋サンシャインシティとなり、
縁あって私もサンシャインビルで働いていた事もあったので、
とても興味深かった。収容者の気持ちと看守の気持ちもよく解ったし、
芸能人の慰問など知らなかった事もたくさんあった。
全6巻、戦時中の記述は漢字とカタカナで書かれていたりしたので、
読みにくかった事もあったが(実際かなり飛ばした)、
読破に思っていたより時間がかかってしまったが、
読んでよかったと思う。
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