テオドール・エードラー・フォン・レルヒ
(1869年8月31日~1945年12月24日)は、
オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。
最終階級は陸軍少将。
1910年11月30日に来日し、
現在の新潟県上越市にある金谷山(かなやさん)で、
一本の長い杖を使用して滑るスキーを伝えた。
新潟県上越地方では、かなり有名な人物である。
私も行った事があるが、レルヒ少佐の業績は、
上越市高田の金谷山にある日本スキー発祥記念館で知ることが出来る。
また毎年2月上旬に「レルヒ祭」が開かれている。
余談であるが、リレハンメル冬季オリンピックの
ジャンプ団体が銅メダルを獲得したのは記憶がおありだろう。
その中に清水礼留飛(レルヒ)選手がいた。
その名前に私はピンッときたのだが
(新潟県上越地方の出身者であれば誰もが知っている名前)、
普通の人から見ればキラキラ・ネームでしかない。
ちなみに清水選手は上越市の隣の妙高市の出身である。
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(1869年8月31日~1945年12月24日)は、
オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。
最終階級は陸軍少将。
レルヒ知られざる生涯― 日本にスキーを伝えた将校 | |
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1910年11月30日に来日し、
現在の新潟県上越市にある金谷山(かなやさん)で、
一本の長い杖を使用して滑るスキーを伝えた。
新潟県上越地方では、かなり有名な人物である。
私も行った事があるが、レルヒ少佐の業績は、
上越市高田の金谷山にある日本スキー発祥記念館で知ることが出来る。
また毎年2月上旬に「レルヒ祭」が開かれている。
余談であるが、リレハンメル冬季オリンピックの
ジャンプ団体が銅メダルを獲得したのは記憶がおありだろう。
その中に清水礼留飛(レルヒ)選手がいた。
その名前に私はピンッときたのだが
(新潟県上越地方の出身者であれば誰もが知っている名前)、
普通の人から見ればキラキラ・ネームでしかない。
ちなみに清水選手は上越市の隣の妙高市の出身である。
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