カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

インドでゴルフ、118回目。

2019年10月16日 22時11分59秒 | スポーツ / SPORTS

 気候も良くなってきて絶好のゴルフシーズンである。
朝晩は肌寒い感じすらする。この通り芝が湿っている。

今日のキノコ! 秋だわ。

バンカーに落ちたかに見えたボールは淵に停まっていたが、
見事に打ち損じたわ。

この日はパーなし、ボギー2、ダブルボギー6、その他10。
1パット3回。パットの調子が悪くなってきた・・・。
しかしだ、原因が解らないので直しようがないのだった。
全体的に調子は今一つだった。ただ、最後の2ホールでショートホールで1オン、
ロングホールのティーショットが真っすぐ飛んだので、
終わりよければすべて良しとしたい。

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コンビニ「エッセンシャル」が開店。

2019年10月15日 21時55分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

インドではコンビニエンスストアが増えて来てる。
と言っても100m毎にあるような日本の比ではない。
以前からあったのは「24-7」(トゥエンティフォー・セブン)。
看板は7-11に似てるような・・・。

 

最近、喫茶店の老舗コーヒー・デイが「エッセンシャル」と言うコンビニをオープンした。
元株式会社セブンイレブン・ジャパンで現在インパクトホールディングス株式会社の
代表取締役社長福井康夫さんが7-11を参考にして出店したそうだ。
8月にバンガロールでオープンし、デリーでも現在3店舗ある。

バンガロールの出店場所はアッパー・ミドル層の住宅街らしいが、
デリーはどちらかと言うと庶民的なエリアだと思う。
私が行ってみたのはIITと言う大学の近所で、
元々コーヒーデイがあった場所でそれほど広くない。

入口にケーキ類が入ったショーケースがある、そこがレジで、
そこから普通にスナック類が並び、一番奥には冷蔵品、
ジュース類やレンジで温める系の軽食が並んでいた。
コーヒーデイ系列なのでコーヒーデイのコーヒー豆も売っていた。
 
「24-7」と何処が違うのか? コーヒーデイの商品がある他は、
特徴が見いだせなかった。まぁ我が家の近所には「24-7」があるし、
まぁそこにもどうしてもの時にしか行かないけど。
インドにコンビニって難しいのかな。
一人で住んでいる人が少ないし、食べる物はその時に作るのが普通だし。

それにしても・・・・外観が同じような色合いなのは、どうなのかなぁ?
もっとパッと見でインパクトあるようなカラーリングの方がいいんじゃないかしら。

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【インド映画】 ~ウォー~

2019年10月14日 22時18分59秒 | 映画 / MOVIE

007シリーズやミッション・インポッシブルのような、
ボリウッド版スパイ映画の決定版。



アクションシーンもさることながら、
リティク・ローシャンとタイガー・シュロフのダンスシーンは圧巻であった。
その路線ではボリウッドで1・2を争う二人である。
リティクはスーパー30のような地味なキャラクターより、
ダンスとアクションのヒーロー物の方がやはり映えると思う。
決して演技が下手と言うわけではなく、
一番の売りであり特徴であるダンスを披露しないのでは、
観客が黙っていないと言う意味である。
私はストーリーに関係がなく意味のないダンスシーン不要論者だから、
気にしないけれど。

  <ストーリー> 

カビール(リティク・ローシャン)と呼ばれるスナイパーが、
ターゲットを狙撃するシーンから始まる。
が、なぜかターゲットではなく味方の高官を射殺し逃亡する。
そしてここでオープニング・ロール。

数年前、カビールはインドのインド諜報部RAWの凄腕エージェントであった。
カビールに憧れているカリード(タイガー・シュロフ)は、
命令を受けカビールと行動を共にして数々のミッションを成し遂げて行く。

カビールは潜入捜査中でナイナ(ヴァーニー・カプール)といい関係に・・・。
上はサービスシーン。このあたりも007っぽい。

カビールとカリードを含む6名のエージェントは任務を受け、
リズワン・イリヤシと言う実業家を狙うが、
仲間のソーラブの裏切りによってカビールは撃たれてしまう。
ソーラブを追ったカリードは重傷を負って発見される。
ここではソーラブとカリードの戦いの詳細のシーンはなく、
ただ重傷のカリードが海岸で発見されるシーンのみである。

カビールもカリードもは一命をとりとめ潜入捜査に戻っていく。
オープニング・シーンでRAWを裏切ったかに見えたカビールだが、
現れたカリードの協力によりイリヤシ一味を追い詰める。

二人はRAWの仲間の結婚式に参加するためにケララに向かい、
仲間から機密データを入手する。しかしカリードはカビールに毒を盛り、
自分はソーラブでありカリードを殺害した後、
顔の整形手術を受けてカリードになりすましていた事を告げる。
カビールは絶命し河に投げ込まれる。

  顔だけ変えてもなぁ・・・体格も違うだろうし、何よりも声は違うだろ・・・
  無理があると思うけど。映画の中では一人二役だから、
  カリードもカリードになりすましたソーラブも同一だけど。

カリードに成りすましたソーラブは機密データを持って南極へ向かい、
インド・パキスタン国境を監視するインド軍の衛星を破壊するためのミサイルを発射させる。

しかしそこへ死んだはずのカビールが現れる。カビールはカリードの身のこなしや、
嗜好からカリードが偽物である事に気づいており、解毒剤を飲んでいたのだった。
そしてカリードに成りすましたソーラブに偽物の機密データを渡していたため、
発射したミサイルは進路を変えて南極へ向かて戻って来た。

カビールはカリードに成りすましたソーラブとカーチェイスの後、
死力を尽くして戦いソーラブを倒す。
RAWは殉職したカリードを称え、カビールはまた任務に戻って行く。


久々に何でもテンコ盛りのマサラムービーをお腹いっぱいになるまで観た。
これぞボリウッド映画であった。実際の所、この作品の中で演じる役柄と同様、
タイガー・シェロフはリティック・ローシャンに憧れているそうだ。

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【おさらい】 デリーの井戸「トゥグラカバード・バオリ」。

2019年10月13日 22時16分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

デリーの南東にトゥグラカバードと言う遺跡がある。
名前の通りトゥグラク朝(1320年頃)初代の王であった、
ギャースディーン・トゥグルクによって建てられた、
デリーで3番目の都城であった。
かつては城塞都市で13の門があり周囲7Kmもあったそうだ。
現在でも半分に住民がいるので、彼らは城の裏側から出入り自由である。

 

入場料は外国人300Rs(約450円)インド人25Rs(約35円)の入場料が必要。
入口にガードマンがいてガイドをしながら勝手についてくるが、
建前は裏側から村人が入って来て危ないからガードすると言う事である。
まぁ場内は整備されておらず、雑草が生い茂っておりジャングル化しているので、
通路が解りにくい事もあるし案内してもらった方が無難である。
なお最後に暗にチップを請求されるので100Rs(約160円)程度渡した方が良い。
一人だったので50Rs渡したら少ないと言われたが押し通した。

入って城壁に沿って左(西)に進むと一番奥にこの井戸がある。
仮に西側の井戸とする。長方形の井戸が多いのであるが、
珍しく正方形であった。

突き出した二本の石に竹の棒を渡して桶を降ろして水をくみ上げたと言う。
2016年に行った時はこうだった、枯れていて水はない。

2019年に行ったら・・・・もう・・・草ぼうぼう。

本によると実はこの場内には2つの井戸があった。一つしか知らんかったわ。
なので確認のために3年ぶりに行ったと言うわけである。
おっちゃんに聞いたら元々場内には7つの井戸があったそうで、
今確認できるのは2つのみとの事。しかし1つは壊れているとの事。
案内図を見ると書いてあった・・・・。赤印が西側の井戸で、
黄色印が今回確認した正面の井戸。

入って正面のエリアにあるが、見えない。
おっちゃんに案内してもらい高台に登ると何となく確認できる程度。
指さしてもらったが・・・全くの藪だわ。

 

近くまで行ったけど柵で囲まれており、これ以上は近づけなかったので、
形や階層、装飾など詳細は不明であった。

 

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【おさらい】 デリーの井戸「ガンダーク・キ・バオリ」。

2019年10月12日 21時48分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

これもメーロウリ考古学公園の一帯にある。
リホン・キ・バオリの近くであるが・・・
公園の外側に出て民家を抜けた商店街の一角にある。
目立たないし、かなり解りづらい。
知っていれば逆側の商店街を通ってて行けるので簡単だが、
クトゥブ・ミナールからリホン・キ・バオリを通って来ると、
解りにくい上に遠く、かなり時間を要する。入場無料。

この通り看板も痛んでいるし・・・。
そして井戸は水があり今でも沐浴などに利用されているようだが、
やっぱり・・・汚いのである。

ただ乾季に行けばもう少し下まで見えるのかな。
幅10m、奥行き40mで5層構造らしいので、
かなり深いようだ。

デリーの井戸を回ってみたところデリースルタン朝(1206~1526年)の
第3期のトゥグラク朝(1320~1414年)から
第5期のローディ朝(1451~1526年)の井戸が多かったが、
この井戸は第1期の奴隷王朝(1206~90年)の
第3代皇帝イルトゥトゥミシュの時代(1211~36年))に造られた物。
近所にある1516年にローディ朝に造られたリホン・キ・バオリより300年ほど古い。
確かに装飾などを見ても古い感じがする。

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【おさらい】 デリーの井戸「リホン・キ・バオリ」。

2019年10月11日 21時11分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

クトゥブ・ミナールの一帯:メーロウリ考古学公園の一番奥にあり入場無料。

クトゥブ・ミナール側から歩いて行くとかなり遠く、
看板と言うか行き先を表示する柱の矢印の通りに進んで行っても恐らく迷う。
逆側から入ると近いけれど、民家を抜けて行くので道を知らないと入れない。

 

井戸はシカンダール・ロディによって統治されていた
1516年に築されたと言われている。

 

装飾は少ないもののかなかいい感じの回廊

井戸は4層構造で右奥にモスクがある。

井戸側から入口を見た所。

井戸は干上がっており緑色・・・ゴミも散乱。

 

その奥の本当の井戸にもゴミが捨てられていた。

 

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【おさらい】 デリーの井戸「アグラーセン・キ・バオリ」。

2019年10月10日 21時34分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

デリーにある井戸で最も知られているのは͡この井戸だろう。
アーミル・カーン主演の映画「PK」で紹介された。

 

デリーの中心コンノート・プレイスにあり、アクセスも良い。
入場無料でいつでも混雑している。

入口を入って左側を見下ろす。

井戸は3層構造で階段は108段あり、長さ60m、幅15m。
マハラジャ・アグラーセンの井戸といわれているが、
(看板にはUgrasenと書いてあるがこれはペルシャ語で、
 英語に切り替わった際にアグラーセンになったようだ。)
アグラーセンと言うのはアガルワル姓のルーツと言われているらしい。

起源や歴史は定かではないらしいが、
トゥグラク朝(1320~1414年)頃に現在の姿になっていたらしい。

下へ降りて行くとヒンヤリする。
井戸であるからして水がめとして利用しただろうけれど、
涼を取りに人々が集まったと考えられる。
さらに一番下まで降りて行く。

この底の奥に本当の井戸がある。
天井に蝙蝠がたくさんいるので蝙蝠臭い。

この狭くて四角い通路を通って中を覗いてみる。
水は少しあるが、ゴミが・・・・・・。全くインド人は・・・・。

井戸の裏側に回ったところ。特に何もない。

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【続】 デリーの井戸。

2019年10月09日 22時11分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

「デリーの井戸トップ10」この本には著者が調べた限りで、
合計で32ヶ所の井戸が記載されている。
その中で現在消滅してしまっているのが14ヶ所、
残りの18ヶ所は程度はどうあれ存在している井戸である。
その18ヶ所の中で普通に誰でも見に行けるのが9ヶ所、
後の半分は個人の所有地だったり、インド考古調査局の許可がないと入れない。


誰でも見に行ける9ヶ所は以下の通り。五十音順
(バオリはヒンディー語で井戸と言う意味。)

① アグラーセン・キ・バオリ
② ガンダーク・キ・バオリ
③ トゥグラカバード・バオリ(1)
④ トゥグラカバード・バオリ(2)
⑤ ハズラート・ニザムッディーン・バオリ
⑥ ムニルカ・バオリ
⑦ リッジ・バオリ
⑧ リホン・キ・バオリ
⑨ ロハレーリ・バオリ

このうち行った事があるのが5ヶ所、
アグラーセン・キ・バオリ、ガンダーク・キ・バオリ、リホン・キ・バオリ、
トゥグラカバード・バオリ、ムニルカ・バオリであるが・・・
トゥグラカバードの遺跡の中に井戸があるのは知っていたが、
2つあったと言う記憶がない・・・・・。近いうちに確認しに行ってみるか。
ハズラート・ニザムッディーン・バオリはあるのは知ってたが、
まだ行った事はない。リッジ・バオリとロハレーリ・バオリも、近いうちに・・。

個人の所有地にある井戸は、行って交渉してみたら入れるかもしれないけど、
研究者でもないただの物好きな日本人に取り合ってくれるかどうか解らない。
インド考古調査局の許可がないと入れない井戸は、どうかな。
こちらもただの物好きな日本人に取り合ってくれるかどうか、
・・・・・可能性は少ないだろうと思う。

なお、この本のトップ10の井戸は͡許可が必要な井戸も含まれているので、
トップ10に入っていなくても自由に入れる所のみレポートしてみる。

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公衆トイレ。

2019年10月08日 22時11分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

インドではトイレの確保は重要な問題である。特に女性は大変である。
田舎では未だに家庭にトイレがない家も多い。
女性たちは夜が明ける前に連れ立って外出し、畑や植え込みの陰で用を足すと言う。
一人で出かけると襲われるらしい・・・。5年くらい前に友人の結婚式に参列するために、
ビハール州の田舎に行ったけど、そこの家にトイレはなかった。どうするのかと思ったら、
家の真ん中にある吹き抜け(中庭になっていて洗い物などする場所)で用を足した。
 
私が初めてインドを旅した1997年(ふた昔は前だが)は、
外出時にトイレに行きたくならなないように気を付けてた。
当時は女性用のトイレは高級ホテルやレストラン、駅やバスターミナルでしか使用できなかった。
高級ホテルやレストランならいいが、後者はあって良かったレベルのトイレも多かった。
今では、ショッピングモール、喫茶店、ファーストフード店などにもトイレはある。
場所によってはトイレットペーパーがない所もあるけれど、
デリーであればトイレットペーパーに出会えることも増えてきている。

  

それからモディ首相の政策で街中に公衆トイレもできてきてる。
女性用トイレも使用できる。新しく出来たので昔のあって良かったレベルのトイレではなく、
普通に使用できるからありがたい。街中、マーケット、バス停付近にもある。
こちらは街中の公衆トイレ。中も普通。トイレットペーパーはない事が多い。
と言うかないのが普通なので持ち歩く事をお勧めする。

 

これはよく行くカーンマーケットの角にある公衆トイレ。
女性用は3種類の個室があるのでお好みに合わせて(笑)
インドでは衛生面を考慮してこちらを推奨する。
日本でも和式と言われているスタイル。インドではインド式と言われている。

洋式は普通のタイプ(左)とインド式洋式(右)がある。

 

インド人は便座に土足で上がってしゃがむ人がいるので、
こういうスタイルになっていると思われる。

 

 日本で見かける使用に際しての注意書きはインド人のためだと私は思っている。 

観光場所でも昔ほど見つけるのは困難ではないけれど、それでも鉄則は、
「出かける前には必ず行っておく。」
「トイレがあったら必ず行っておく。」

公衆トイレは基本無料であるが、万が一、係の人がいたら、
揉めないためにも5Rs(約8円)払った方が良い。
なお駅やバススタンドのトイレは基本有料で5Rs。

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電気自動車の充電機。

2019年10月07日 21時33分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

環境問題と言えば大気汚染の問題がある。
ご存知の通りPM2.5と言えば中国の専売特許だったのだが、
インドは中国の比ではないほど・・・・・であるらしい。
人体に及ぼす影響は1日タバコを2箱吸っているのと同じという深刻な状態である。
まぁインド在住10年の私は、空気の悪さは感じなくなっているのであるが。
 
一応この国になりに手を打ってはいる。
例えば・・・・その昔、タクシーやオートリクシャーなどの商用車は,、
LPG(液化石油ガス)燃料を使用する事を義務づけた。
継続してはいないが数年前、車のナンバーによる運転規制を設けた。
奇数日には奇数ナンバーの車両み使用可、偶数日には偶数ナンバーの車両のみ使用可、
ただし商用車を除く・・・・。空気が良くなったかどうかは知らないが、
道路が空いていて良かった。

電動のオートリクシャーが出てきたのは2012年頃。
最初の頃は普及していなかったのだが、最近はよく見かけるようになってきた。
どうもこれトゥクトゥク呼ばれている。一回の充電で80Kmほど走れるらしい。

そしてサイクル・リクシャーであるが・・・・
これは人力と言うか脚力だから環境に優しいはずなのに、
何故だか最近は電動のも出て来た。おっちゃんが楽だからかな。

 

そして自動車やバイクも電気駆動に変わって行く事が決まったらしい。
ガソリンスタンドならぬ充電スタンドを見かけるようになってきた。
駐車場の一角にひっそりと設置されていた。

 

 マーケットの一角にも電気自動車専用の充電できる駐車場が出来ている。

 

 ただ・・・・まだ一度も充電しているのを見た事はないっ!!

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ゴミの山・・・。

2019年10月06日 21時33分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

私のブログはテーマが幅広い事と内容のくだらなさには自信がある。
たまには社会問題も取り上げてみようと思う。
私がインドで問題だ!と思っている、「ゴミ」「公害」「トイレ」についてである。

ゴミの問題はインドでも深刻である。
インド人は自分に家の外は全部ゴミ箱でトイレだと思っているに違いない。
と私はずっと思っている。都心であっても立ちションは多いし、
あたりかまわずゴミを路上にポイポイ捨てている光景は当たり前に目にする。


自宅で出るゴミは収集人が毎日回収に来てくれる。
場所によるが1ヶ月100Rs(約160円)程度である。
ゴミは分別不要で回収した人が分別してくれるのだ。
リサイクルできる物や売ってお金になる物など仕分けしている。
私は日本人なので長年の癖で、ペットボトルやビン、缶は仕分けして出すけれど。
 
通常、路上にはこのようなゴミ箱が設置されている。
どういう理由かは解らないが・・・・ドライとウエットである。
乾いているか、湿っているか・・・・つまり、生ごみとそれ以外と言う事だろう。
マークが解りにくい・・・・

ちょっと都心ではこのように3つに分かれている。
左から緑色「湿った物」青色「乾き物」赤色「リサイクルできる物」。

では、集められたゴミは、いったいどこに行くのだろうか?
焼却施設が整っていないので・・・・・こうなっている・・・。

デリーの中心部から西側の郊外に向かって行く。
メトロのイエローラインの西の終点に近い所に山がある。
私は友人がこちら方面に住んでいるので、
メトロから見えるこの山の存在には気がついていた。

このテーブル・マウンテンは・・・全部ゴミである。
デリーで集められたゴミがここに集まる・・・・。
近くに住んでいる人は匂いとか虫とか大変だろうなぁ・・・・
そればかりではなくたしか去年だったと思ったが、
充満したガスが爆発し近くに停めてあった車が吹き飛んだ。

危ない、危ない・・・。何とかせにゃあかんやろ、デリー政府。

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今日のカレー(No.396) ~ダバ~(サイバー・ハブ)

2019年10月05日 21時42分59秒 | カレー / CURRY

「ダバ」と言うヒンディー語は本来は露店の食堂の事である。
あばら家であることもあるが高級店では決してない。
しかし洒落でワザとこう名付けたのであろう、
デリーにあるクラリッジス・ホテルが発祥のレストランである。
サケットのモール、ネルー・プレイスの駅ビル、そしてサイバー・ハブにも支店がある。
あまり増えるとありがたみが薄れると思うのは私だけだろうか。

           

住 所:1F, Cyber Hub, DLF Cyber City, Gurgaon,Haryanai, India
電 話:91-124-4900155, 91-8527900779
予 算:500Rs~

<食したメニュー>

バター・チキン・カレー 595Rs(約900円)、
ララ・ゴーシュト 595Rs(約900円)、プレーン・ナン 99Rs(約150円)、
バター・ナン 119Rs(約180円)、ガーリック・ナン 119Rs(約180円)

<店内の雰囲気>

ポップなインテリア。
<感想と評価>

          
バターチキンである。辛いのが苦手な人にはこれである。
私には全く辛くないと思えるのだが、インド初めての人には辛いみたい。
チキンはタンドリーで焼いた物が入っていた。

           
こちらはゴーシュト(羊)と言う名の山羊カレーである。
インドでは基本的にマトンは山羊である事がほとんどである。
そのせいか・・・臭くないのである。
このカレーはキーマ(ひき肉)とゴロンとした肉とが入っている。
バターチキンと比べて見た目からして赤い色なので、辛い事が想像できる。
どちらも私にとってはほとんど辛いとは思えない辛さであったが、
日本から来た人にとっては辛かったようだ。

ナンの写真がないのだが、薄めで小さめだったため、4人で7枚食べた。
カレーは2種類だったけど、辛かったせいもありナンが進んだのかも。

 評価は◎(手軽に食べられるダバの支店。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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ユニクロ開店。

2019年10月04日 22時22分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

満を持してユニクロが開店した。
デリーとグルガオンに3店舗同時に開店したが、
私は開店前からバサント・クンジにあるショッピング・モール店だけを注目していた。
(いくら暇だからって3店舗はチェックできないし。)
10日ほど前までは大丈夫かなぁ・・・
と思わせるような工事の進捗状況だったのだが、
そこはインドなのでやっつけ仕事で間に合わせたのだった。
(F1の開催の時だって酷かったしなぁ。)

近隣の歩道橋から見たところ、看板が見える。

モールの入口には何故だか鳥居が設置されていた。

モールの中には日本風の飾り付けがされていた。
なんかいい感じ。桜は日本らしい。

外見もちゃんと出来ていた。日本にあるユニクロの店みたい。

3フロアに渡る大型店舗。エアリズムもダウンジャケットも、
コートもTシャツもインナーも日本にある物が販売されていた、
なんか落ち着くよ。店員多めだったけど。

一部にインド人デザイナーのクルティ(インドの民族服)も売られていたが、
3000Rs(約4520円)と高めだった。
素材の品質もデザインも良いのだろうけれど、
インドのブランドのアノーキーやファブインディアより高いのはどうかな?

開店初日で客の入りは思っていたほど多くななかったけれど、
店内外に紙袋を持ったインド人がいた。

Tシャツが1290Rs(約1950円)、
ダウンジャケットが5990Rs(約9025円)と、
日本の1.6倍の値段だが、これは先に開店した無印良品も同じような価格設定だ。
つまり日本で1290円で売られている物がインドで1290Rsで売られている。
1Rs=約1.6円である。

日本人も結構来ていたが、帰国時に買えば済む話と思う。
ちなみに向かい側のH&Mの店舗や近隣のフォーエバー21より、
大勢の人が入っていた。これから寒くなって行くので、
フリースやダウン、コートなどは売れると思う。

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インドでゴルフ、117回目。

2019年10月03日 21時25分59秒 | スポーツ / SPORTS
前回、パンチショットでもとにかく真っすぐに進む・・・
と思ったのだけれど、人間と言うものは欲深い。
フェアウェイにボールがある時は(フェアウェイでない時もだが)、。
当然1ミリでも遠くへ飛ばそうと考える。
全てのショットにおいて遠くへ飛ばそうと言う欲を捨てて、
真っすぐに飛ばそうとは考えないものだ。
 
この日はあるご夫婦が日本に帰る事になったので、
送別ゴルフコンペになった。勝負ではないので、
全くもって気楽に回れると思っていた。
 
 
朝一のコースには・・・・キノコがっ!!
 
 
これだけ見たら綺麗なゴルフ場であるが・・・。
 
 
 
16番のショートホールで見つけた物は・・・
ヤマアラシかハリネズミの体毛「針」であった。固く鋭い。
待ちすぎて(言い訳)ラフにはまった私は、このホールをギブアップとしてしまった。
 
 
インドのゴルフコースにはいろんな物が生えている。
ご禁制の麻もそうだけど、こりゃ豆か?
いや・・・気になっているので豆じゃないな。
タマリンドじゃないし。・・・。
 
 
ティーショットmぽフェアウェイウッドもアイアンもパットせず・・・。
最終ホールを迎えた・・・・。
 
それでもショートホールでパー2、ボギー3、ダブルボギー3、その他10、
1パット4回とパットは好調をキープ。
スコアはいつもよりちょっと良かった。
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ガンディー生誕150周年。

2019年10月02日 10時14分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

マハートマ(偉大なる魂)と呼ばれたガンディーの本名は、
モハンダス・カラムチャンド・ガンディーである。
1869年10月2日、グジャラート州の海岸に面した町ポルバンダルで生まれた。
今日はその日から150周年である。

20世紀になって独立運動にかかわるようになるまでは、
少年時代も青年時代も優等生ではなかったようだが、
いつしか独立のカリスマとなり、マハトマと呼ばれるようになった。
ガンディーはインド独立の父として知られており、
恐らく世界で一番有名なインド人だと思う。

 

ガンディーは非暴力によりイギリスから独立しようとしたのだが、
この「非暴力・不服従」は「無抵抗主義」ではない。
これは私の知人でアーメダバードにあるガンディーの大学で、
長期に渡りガンディーを研究していた偉大なる変態のKさんに聞いた話であるが、
ガンディーは抵抗するなとは言っていないんだ。
例えば殴られた時に抵抗せずただ殴られ続けろ、とは言っていない。
無抵抗でやられ続けるのではない。全力で抵抗して良いのだ、と。

1947年8月15日インドは独立したが、ガンディーの望んだ
「ヒンドゥーとイスラムが融合したインド」にはならなかった。

そしてヒンドゥー教徒でありながらイスラム教徒の肩を持ちすぎると言う理由で、
1948年1月30日、デリーのビルラー邸の庭で礼拝に向かう途中、
ヒンドゥー至上主義者のナトラム・ヴィナヤック・ゴドセによって射殺された。

もう一つ偉大なる変態のKさんが話してた事で印象的な事がある。
ガンディーは頑固で偏屈なただの爺さんだ。と。
ははは・・・・やっぱりそうだったか。と安心した。

モハンダス・カラムチャンド・ガンディーが独立の際に思い描いたインドとは、
今もかけ離れている。ガンディーはそう嘆いているように思う。
偉大なる魂よ、永遠に。

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