カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

【インド映画】 ~ナ・ガル・ケ・ナ・ガート・ケ~

2020年04月15日 21時37分59秒 | 映画 / MOVIE

インドでは2020年3月24日より5月3日まで、
ロック・ダウンとなっている。
従って家にあったDVDを見直しているところである。

あまり大作でなかったようで・・・
個々の良い写真が見当たらなかったので、
ポスターで説明する。

この映画は主人公はこのポスターの中央下、
ちょっと頭が薄い男性デヴキ(ラフル・アガルワル)。
その上の段の右側が父親役のオーム・プリ、
左側が警察署長役のパレッシュ・ラワル。
最上段の左から妻ミティレッシュ(ナラヤニ・シャストリ)、
中央が母親役のニーナ・グプタ、
右側がルームメイトのマダン(ラヴィ・キシャーン)。

「ナ・ガル・ケ・ナ・ガート・ケ」とはヒンディー語の諺で、
居所の定まらない人、立場が決まっていない人、
どっちつかず、どちらに転んでも損をする等の意味がある。。

  <ストーリー> 

ウッタル・プラデシュ州の田舎のパッランハルと言う村で、
父(オーム・プリ)、母(ニーナ・グプタ)、祖母、
妹と暮らしているデヴキナンダン(ラフル・アガルワル)が、
自分の住んでいる村を紹介する所から始まる。

デヴキは学校を卒業しムンバイで働くために列車で旅立つ。
ムンバイ到着時からボッタくりに遭いながら職場に着くが、
田舎者丸出しのスタイルに同僚たちはクスクス笑う。
デヴキはマダン(ラヴィ・キシャーン)とルームシェアするために、
彼の部屋に行くがかなり乱れた生活をおくっている様子だった。

デヴキはガネーシャ祭りの10日間の休みを利用して故郷に帰るが、
両親はミティレッシュ(ナラヤニ・シャストリ)と結婚させようとしていた。これぞ田舎の結婚式と言う感じで、結婚式でも結婚の後でも、
デヴキは花嫁の顔を見る事が出来ないまま、
休暇が終わりムンバイに戻ってしまった。

数日後、なんと両親と妹とミティレッシュが、
ムンバイのデヴキの部屋に訪ねて来てしまった。
ミティレッシュはデヴキと一緒に暮らす事にしたため、
両親と妹は田舎へ戻る。

翌日、デヴキはミティレッシュと一緒に映画に行こうとするが、
部屋の下まで降りた時、扇風機のスイッチを消し忘れた事に気づき、
ミティレッシュを残して部屋に戻る。ところが・・・・
デヴキが降りてくるとミティレッシュはいなくなっていた。
デヴキは周囲の人々に聞くがわからない。
ある売店のオジサンがミティレッシュは
警察の車に乗せられて行ってしまったと言う。

デヴキはマダンと一緒に警察署に向かう。
ミティレッシュはダンサーたちと一緒に間違って逮捕され、
留置所に入れられていた。
デヴキが警官に事情を説明すると、
結婚している証明書を見せるように言われた。
しかしデヴキは結婚したばかりで、
しかも彼の村には届け出をすると言う習慣がなかったため、
証明書はなかった。そこでデヴキはミティレッシュの父親に電話し、
結婚式の写真を持って来るようにと告げる。

ちょうどそこへデヴキの両親と妹が村へ帰って来た。
事情を聞いた三人は村人達と一緒にムンバイへ行く事にする。
ムンバイに着いた一行は警察署で結婚の儀式を行う。

マダンが警察署長を騙している間に警察署で儀式を始める。
そこへ警察署長が戻ってくる。
そして結婚式の写真を見せるように言うが・・・
田舎の結婚式では花婿も顔の前に花の飾りを垂らしており、
顔は確認できない。花嫁も顔をベールで隠している。
しかし、儀式を執り行った事でミティレッシュは釈放される。

一件落着・・・・かと思ったら、翌日、警察署長がやって来た。
この部屋を借りているのであれば証明書を見せてくれと。
部屋はルームメイトのマダンが借りていりので契約書はない。

都会で暮らすと言う事は・・・・
世間知らずの田舎者にとっては困難な事ばかりであった。

 普通のどこにでもいる村の夫婦の物語なので、
 スター俳優はいらなかった。
 主演のラフル・アガルワルは映画監督でもある。

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デリー・ロック・ダウン生活 その③。

2020年04月14日 21時40分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

さてデリーにおけるロック・ダウン(閉鎖)は、
本日4月14日までであったのだが、
10時にモディ首相が国民に向けて演説をし、
5月3日までに延長された。

20日以降は緩和するとの事だが・・・・。
1週間後のお楽しみかなぁ。
停止している工場系で業種別に操業再開とかかな。
待ち遠しい。

ところで、このストールだが、見覚えがある。
このデザインはインドの東北にあるマニプル州の物だ。
私も2回行っているので同じ物を持っている。

これを身につけた理由だが、恐らく東北8州は、
インドと言ってもミャンマーやブータンと国境を接し、
独自の歴史と文化がある。だけど・・・
私達は同じインド国民である。一緒だよと言う、
メッセージなのではないか。

また東北8州の人々はインド人と言えども、
顔つきは東洋系でコロナの一件では差別されてるらしい。
それでゴメンネと言う意味もあるとか?
我が家の近所にも多いが、私は全く差別されていない。

余談であるがマニプル州インファールは、
第二次世界大戦においてインド独立の為に日本軍は、
INA(インド国民軍)と共に戦かったのである。
と言うわけで日の丸も飾ってみた。

演説時でのインドでのコロナ感染者数は10,503人、
死者は358人である。

10日には各都市、各州で特に多く発生者が出ているエリアを、
ホットスポットとして完全に封鎖した。
今までは食料品などの買い出しは認められていたが
それも禁止され、必要な物はデリバリーで入手する。

デリーでも49ヶ所あったが外国人が多いエリアではなく、
中心部から郊外の方に分散していた。住所を聞いても、
私が知ってる地名は半分程度だった。
グルガオンでは日本人が多く住んでいるエリアが入っていたが。

 

この写真は私の住んでいる近所の幹線道路である。
完全封鎖ではないのでボツボツ人出がある。

スーパーの店頭には物資が積まれ、
人々は指定された場所に等間隔に並んで待っている。

この店は5人しか入れない。もちろんマスク着用、
入店時には手を消毒する。

こんな風に手袋までしている意識の高い人もいる。
iPhone持ってるからお金持ちだな。
手洗いの方が効果的だと教えてあげたいが。
iPhoneも汚染されちゃうし。

レジ前も立ち位置が指定されている。

と言うわけで、デリー・ロック・ダウン生活は続くのであった。
変化があればまたお知らせします。

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【インド映画】 ~プリンス~

2020年04月13日 21時40分59秒 | 映画 / MOVIE

インドでは2020年3月24日より4月14日まで、
ロック・ダウンとなっている。
従って家にあったDVDを見直しているところである。

ロック・ダウン中、家の中の片づけをしていると、
いろんな化石が発掘された。
2010年の5作品が1枚のDVDに入っていたので、
順々に観る事にした。

興味があって買ったわけではなく、
キャストも初めて観る人達ばかりだった。
この作品はミッション・インポッシブルみたいな、
アクションものらしい。

ちなみにプリンスと言うのは主人公の大泥棒の名前である。

  <ストーリー> 

プリンス(ヴィヴェーク・オベロイ)は、
世界を股にかけて宝石を盗む大泥棒である。
ところがある日、目が覚めると全ての記憶を失っており、
自分が誰だか解らなくなっていた。

ガールフレンドがマヤと言う名前だと知らされ、
マヤを探しにナイトクラブに出かける。
そこでダンサーのマヤ(ナンダナ・セン)に出会うが、
記憶はよみがえらなかった

翌日、ムンバイ警察の為に働いている女性(ニールー・バジワ)に会うが、
その女性もマヤと名乗った。そしてプリンスが持ってるはずの、
特別なコインを渡して欲しいと言い、彼を逮捕してしまう。
コインにはマイクロ・チップが入っており、
それによって記憶がコントロールされるのだ。
プリンスは靴のかかとの中からコインを見つけ、
それを渡したが偽物だった。

プリンスが襲われている所に第3のマヤ(アルナ・シールズ)が現れ、
彼を救う事で本物のマヤである事を証明し、真実の話を聞かせる。
プリンスの頸部にはマイクロ・チップが埋め込まれており、
副作用として毎朝の目覚めとともに激しい頭痛をもたらし、
その上6日間しか生きる事が出来ないと言う。

プリンスはマヤの助けられながら記憶をたどり、
本物のコインを見つけだすが意識を失ってしまう。
そこに第一のマヤが現れプリンスを連れ去るが、
プリンスはコインを持っていなかった。

本物のマヤのもとにプリンスの友人マイクから、
電話がかかってくる。マヤはコインをマイクに渡すが、
第二のマヤがそれを奪って逃げる。ところがそれは偽物だった。

マイクはプリンスにマイクロ・チップを移植し、
瀕死の状態のプリンスは復活する。
そして自分を追ってきた一味の元へ行き決着をつける。

 3人のマヤが登場するので、ちょっとややこしい。
 プリンスは記憶喪失なので本物のマヤが誰だか解らない。
 プリンス同じで観ている私も混乱した。
 ヒンディー語が全部わかるわけでもないので(いいわけ)、
 インド人の顔って同時に見えるし(笑)。

 アクション映画は劇場の大きなスクリーン及び、
 良い音響システムの所で観るべきである。
 家のDVDプレーヤーではやっぱり迫力がないなぁ。

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【インド映画】 ~サナム・レー~

2020年04月12日 22時06分59秒 | 映画 / MOVIE

インドでは2020年3月24日より4月14日まで、
ロック・ダウンとなっている。
従って家にあったDVDを見直しているところである。

2016年の作品で、やはり4本1組のDVDに入っていた。

たまたま買ったDVDに入っていたと言うだけで、
出演している俳優も祖父役のリシ・カプール以外は知らないし、
それも作品を調べていて解ったことであった。
キャスティングに左右されないで観ると
作品自体の良し悪しが良く解るのであった。

タイトルはヒンディー語で「最愛の人よ。」と言う意味で、
女性から男性に対して呼びかける言葉である。

  <ストーリー> 

ムンバイの会社で働くアカーシュ(プリキット・サムラート)は、
祖父(リシ・カプール)の病状が思わしくなく故郷に帰る事になった。
そこで彼は祖父名義の写真スタジオを売却する手続きを行うが、
6歳の頃の事を思い出す。

アカーシュは写真館を営む両親と祖父と暮らしていた。
祖父はアカーシュに話して聞かせる。
自宅から500歩目にある家に住む女の子に恋をするが、
その恋は成就しないと。

高校に入るとシュルティ(ヤミ・ゴータム)と付き合い始めるが、
アカーシュはムンバイの高校に行く事になり別れてしまっていた。

アカーシュは会社で大きな契約を取るように言われ、
顧客を得るためにカナダのヨガ・キャンプに参加する。
そこでアカーシュは会社の投資家の妻で夫と別居中だと言う
パブロ夫人に近づき、契約を取るために気があるふりをする。

さらにそこでシュルティと再会するが、
シュルティはアカーシュが誰だか解らなかった。
二人は再び恋に落ちる。
だが、彼女はつきあいを続ける事を拒絶する・・・。

ムンバイに戻ったアカーシュはシュルティを探し始める。
そしてパブロ夫人の協力でシュルティを見つけ出すが、
彼女が心臓病で移植を受けないと
死んでしまうと言う事を知る。

アカーシュはシュルティに一緒にして欲しいと頼み、
二人は中身の濃い数日間を過ごすが、
アカーシュはムンバイの会社に戻らなければならなかった。

数カ月後、シュルティはドナーが見つかり移植を受ける。
手術は成功しアカーシュに会う為にムンバイに向かうが、
彼の電話はオフになっており連絡がつかなかった。
シュルティはアカーシュの会社に行くが、
同僚たちにも情報はなかった・・・・。

シュルティは故郷へ向かう。
アカーシュの家である写真館の前に来た時、
彼女の心臓は激しく鼓動し始める。
・・・シュルティは移植された心臓が、
アカーシュの心臓であった事に気づくのであった。

 自分の命を犠牲にして最愛の人の命を助ける。
 最愛の人の人生は続くが、そこに自分はいない。
 見返りを求めないのが真実の愛である。しかし・・・
 もしも私が愛する人の犠牲の上で生きていると知ったら、
 幸せじゃないなぁ・・・。一生気にするなぁ。

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【インド映画】 ~バンジョー~

2020年04月11日 22時03分59秒 | 映画 / MOVIE

インドでは2020年3月24日より4月14日まで、
ロック・ダウンとなっている。
従って家にあったDVDを見直しているところである。

こちらも2016年の作品である。
「ルスタム」と同じDVDに入っていた。

実は映画館で予告編を観た際に、
かっこいい音楽映画で観たいなぁと思っていたのだが、
その時点ではヒンディー語もほとんど解らなかったので、
ちょっと観ただけで放っておいたのだった。

ロック・ダウンで時間が出来たお蔭で日の目を見たと言う事。

  <ストーリー> 

アメリカからムンバイに来たミッキー(ルーク・ケニー)は
バンジョー奏者を探していた。
地元のガネーシャ誕生祭で優れた演奏をするバンドを見つけ、
ニューヨークにいるクリス(ナルギス・ファクリ)に連絡をした。

その演奏を気に入ったクリスは、
音楽祭に出場させるためムンバイにやってくる。
ところがそのバンドがスラムの貧しい若者である事しか解らず、
数か所あるスラムを探すが見つからなかった。

クリスはエージェントに紹介され、とあるスラムに住む、
タラート(リティーシュ・デシュムク)を紹介される。

タラートはクリスを気に入り自分の住むスラムを案内する。
そこで仲間のペーパーやグリース、ワジャを紹介する。
実はこの4人がクリスが探し求めていた
バンド・メンバーであるのだがお互いに知らずにいた。
そしてスラム内には敵対するバンドもいた。

クリスとミッキーはオーディションをして、
バンドを探すが見つからず失意のクリスは、
ニューヨークに戻る決心をした。と・・・その時、
どこからか聞こえてくるバンジョーの旋律・・・。
クリスは音色の元へ走る。
そこにはタラートのバンドが演奏していた。

音楽祭に出演させるために練習を重ねるメンバーだが、
もともと貧困でありお金が必要だった。
資金を得るために資産家のライブハウス・オーナーに会いに行くが、
バンジョーなどは低俗なストリート楽器であると断られる。
しかし実際の演奏を聞かせてパトロンにさせる事に成功する。

バンドの活躍が新聞に載るとスラムの住人達も喜んだ。
スラムを紹介したエージェントは政治家でもあり、
自分の政治的なパーティーに演奏を依頼した。

そこでタラートは敵対するバンドのリーダーに利用され、
政治家は狙撃されてしまう。タラート達は警察に捕まり、
拷問を受け、メンバーの家族たちは人生の終わりだと悲しんだ。

スラムから成功を夢見たが、スラムに逆戻りだった。
そしてメンバーは疎遠になってしまう。

タラートにバンジョーを教えてくれた祖父が亡くなった時、
離れていたメンバーは葬儀に参列した。
そしてまた一緒に演奏する事に・・・・

コンサートで演奏し成功をおさめた事をクリスは喜び、
メンバーをニューヨークに呼ぶ。

 バンドはバンジョーとドラムスと太鼓2名と言う編成、
 もともとは地元民が祭りなどで演奏していたのだろう。
 バンドの音楽もガネーシャ神を称える歌詞であるが、
 なんか妙にノリのいいメロディーであった。

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【インド映画】 ~ルスタム~

2020年04月10日 21時20分59秒 | 映画 / MOVIE

インドでは2020年3月24日より4月14日まで、
ロック・ダウンとなっている。
従って家にあったDVDを見直しているところである。

1959年に実際にあった事件の映画化であるが、
実話を元に創作部分が追加されている。

海軍将校ナナヴァティが妻の浮気相手を射殺し、
裁判では正当防衛が認められ陪審員制度で無罪となったが、
1961年に終身刑となった。3年間服役したのち恩赦で釈放され、
3人の子供と妻と一緒にカナダに移住し2003年に死去した。

実話では、妻は離婚し浮気相手と再婚したいと言ったが、
ナナヴァティが浮気相手を問いただしたところ、
プレイボーイであった相手は、
自分がベッドを共にした女性全てと結婚しなきゃいけないのか?
と言ったため、激高したナナヴァティに射殺されてしまった。

なお、この事件を最後に陪審員制度は実質廃止となった。

2016年の作品。

 <ストーリー> 

1959年のボンベイ(現ムンバイ)。
海軍中佐ルスタム・パーヴリー(アクシャイ・クマール)は、
航海の任務が短縮され予定より早く自宅に帰る事になった。

花を買って帰宅したルスタムだが、
妻シンシア(イリヤーナー・デクルーズ)はいなかった。
女友達のプリティに電話をかけるが一緒ではなかった。
胸騒ぎがしたルスタムはタンスの中を調べ、
そこに知人の実業家ヴィクラムからのラブレターを発見する。

シンシアがヴィクラムの家にいるのを突き止めたルスタムは、
自宅でシンシアの帰りを待った。
翌朝、シンシアが戻ってくるとルスタムはラブレターを読み始め、
シンシアが弁解するのを聞かずに家を飛び出した。

ルスタムは海兵隊に戻りピストルを持ち出すと、
デリーの国防長官に電話をかけ、ヴィクラムのオフィスへ向かう。
オフィスにまだ来ていなかったため自宅に向い、
そこでヴィクラムを射殺し警察に出頭する

と、ここまでは夫が妻の浮気相手を射殺した事件であった。

ヴィクラムの妹プリティはルスタムに極刑を求め、
対するルスタムには海軍やパールスィ(拝火教徒)
コミュニティが援助を申し出るが、。
彼は弁護士をつけず単独で戦う事を選択する。
ちなみにルスタムはパールスィ(拝火教徒)。

タブロイド紙が面白おかしく記事を上げた事により、
ルスタムの事件は世間の注目を集めた。

海軍から指示された強盗がルスタムの家に忍び込み、
家じゅうを探したが目的の物は出てこなかった。
シンシアは恐怖にかられ留置所にいるルスタムに面会する。
そしてヴィクラムやプリティとの出来事を話し始める。

ルスタムの指示によりシンシアは海軍の上級将校に会い、
必要書類と引き換えに大金を要求した。

裁判でルスタムは激高しやすい性格のヴィクラムが拳銃を取り出したため、
仕方なく撃ったと正当防衛を主張した。陪審員の判断は無罪に傾いた。

ムンバイ警察のヴィンセントは
事件当日ルスタムが国防長官に電話をかけた内容を調査し、
通話内容のコピーを裁判に提出し、今度は有罪に傾いた。

留置所でルスタムはヴィンセントに真実を語り始める。
1958年にルスタムはロンドンに派遣され、
海軍が購入しようとしていた空母を検査していた。
船体に腐食部分が見つかり修理すべきとの結論に達した。

ところがこの話の仲介をしていたヴィクラムは、
ルスタムにこのままインド海軍へ売るようにと言い、
買収を持ちかけたがルスタムは断った。
ルスタムは国防長官にこの話をするが、
賄賂を受け取って黙っているようにと言われたのだった。

ルスタムは事件当日、国防長官に電話をかけ、
ヴィクラムを殺し、空母に欠陥があると言う書類を
明るみに出すと告げたのだった。
(実際の所、ルスタムは書類を持っていなかったのだが。)
国防長官は汚職が明らかにされるのを恐れ、
ヴィンセントに会話の録音の半分だけを渡したのだった。

裁判でルスタムは無罪となった。

 夫が妻の浮気相手を射殺する。話の裏に、
 汚職を絡めてストーリーを作ったのだ。
 汚職の事は目をつぶろう・・・と思ったが、
 妻の浮気相手となっては、やっぱり生かしてはおけない。
 と言う事か。うむむ・・・・・。

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デリー・ロック・ダウン生活 その②。

2020年04月09日 22時19分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

私目線の印象であるが3月上旬の時点の
デリー界隈のインド人のマスク着用率は30%程度。
布製のマスクが多いが、ちゃんと洗っているのか?
殺菌しているのかは不明。恐らくしてないだろう。
手を殺菌するサニタイザーやマスクを買う人が増えたようで、
在庫がない薬局も多数あった。

ショッピングモールでは検温や手の消毒を行ったりしはじめ、
街中のレストラン等でも入店時に手の消毒が珍しくなくなった。
3月14日にデリーの映画館がクローズになった後、
ショッピング・モールなど順次クローズになって行った。

上記はコンノート・プレイスのレストランに張り紙だが、
自主的にクローズしたりデリーバリーや
テイクアウトのみの営業に切り替える店も出て来た。

私も自己防衛のために消毒液を購入した。
ちなみに550Rs(約円790)。

3月23日、モディ首相がインド全土の21日間ロックダウンを発表。、
(3月24日から4月14日まで。)
この間、必要物資の買い出しは可能なので
世間の様子を確認するために2日に1回外出する事にした。

町角の屋台のフルーツ売りのおじさんも、
マスクにとゴム手袋を着用し始めた。
スーパーなどの店舗は入店人数を制限したり、
順番待ちの買い物客のために店頭に○印を書いていた。

 

ついにはマスク着用でない人は入店禁止に・・・。

ロック・ダウンが1週間経過すると、
インド人は辛抱できない人種なので街にはけっこうな人が。

 

一番ひどかったのはこれ。
無料の食事配給の所に長蛇の列が・・・。
どこで聞きつけてくるのかね。

TV等で放映されたように違反者を警官が棒で殴ったり、
スクワットさせたりと言う事も所によってはあるそうだが、
南デリーの我が家の周りでは行われていない。

それどころか、3月10日にニザムッディンで行われた、
イスラム教の導師による集会でクラスターが発生したにもかかわらず、
(マレーシアなどの外国からの参加者も多数感染)
ヒンドゥー教寺院で集団での祈祷(プージャ)が行われている。
全く・・・人のふり見て我がふり直さない人種である。

ロック・ダウンについては、また動きがあれば記事にする。

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デリー・ロック・ダウン生活 その①。

2020年04月08日 22時16分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

さて、ロック・ダウン生活に入る前の記事がひと段落ついたので、
この辺で、インドにおける新型コロナ・ウィルスと、
ロック・ダウン生活について記してみる。

私が新型コロナ・ウィルス(以下コロナ)の脅威を、
実際に感じたのは2月中旬である。それ以前に、
コロナのニュースを聞いた限りでは、
現在ほど大きな問題になるとは思っていなかった。

2月12日の18時半頃、日本から来たお客様を
空港でピックアップしてそのまま車でアグラへ行った。
その方が空港で入国した際に、
コロナに関する調査書類があった事を教えてくれた。

その後、26日にエスコートする予定のお客様が、
コロナの影響からインド行きをキャンセルされた。
それから・・・これは世界的規模の脅威になるかも・・・
と思い始めたのだった。

インドは3月3日から日本からの入国を拒否し始めた。
それ以前にインドへ入国していたお客様を迎えに行った6日には、
完全に私の中で非常事態宣言がなされ、
PM2.5でもしかなったマスクをして空港へ向かった。

ちなみに、その日バックパッカー街(パハール・ガンジ)の
薬局で中国人がマスクを買い占めている所を目撃。
その後、空港メトロのエスカレーターでインド人から、
「コロナ。ニーハオ。」と言われ、
「私は中国人ではない。」とヒンディー語で答えた。

その後、春祭りホーリーがあり、それが終わった11日からは、
どうしてもと言う用事以外は出かけないようにした。

今後は動き回る事はせず映画でも観よう・・・。
と思っていたら13日からデリーでは映画館が休館となった。
仕方がないのでまだ営業していた隣の州まで行き、
15日に2本観た。人気作品で夜の回や休日でもない限り、
満席にはならないし、私の行く平日の9時台の回は、
観客はまばらであるから危険な感じはしないけど、
まぁ密閉された空間ではあるし、インド人は上映中でも、
平気で電話で会話したりするからな。

16日、ショッピング・モールで入場時に検温してると聞き、
検温されるために行ったが問題がなかった。
17日、インド在住の日本人がデリーに来たので、
パハール・ガンジへ会いに行った。もちろんマスクして。
18日、近所のカフェでインド人通訳者に会い賃金を支払った。
19日、コンノート・プレイスで日本から来た旅行者に会った。
これが旅行者と会った最後。翌日から自主的に引きこもった。

同じ19日夜、モディ首相が国民に向けて演説。
22日は7~21時まで外出禁止とする・・・
よって22日に予定されていたゴルフは中止になった。

23日、モディ首相が再度演説。
インド全土の21日間(4月14日まで)ロックダウンを発表。
必要物資の買い出しは可能、デリバリーも可能である。

私は3月20日から自主的に引きこもっていたので、
食料品はある程度の備蓄していたが、
世間の様子を確認するために2日に1回は外出する事にした。

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デリーのモスク ~ キルキ・マスジット ~

2020年04月07日 22時28分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

サケットのショッピング・モールの向い側のエリアは、
今風のショッピングモールとはかけ離れた住宅地である。
普通の人はショッピング・モールへは行った事があっても、
向い側のエリアには興味はないだろう。

私は何があるのだろう・・・と興味はあっても、
中に入って行く勇気もなく、
また住宅エリアに足を踏み入れるのも気が引けていた。

大通りからちょっと入ってみたら、
すぐに古めかしい建物が目に入った。

この場所にあるのは「キルキ・マスジット」だと知っていたが、
なんだかモスクっぽくない。城?? そんな感じがした。
まずは周囲を周ってみた。

 

やっぱり城っぽい。

 

建物のすぐそばまで住居が迫っている・・・
このモスクの周りが住居になったのだ。
でもこのモスクは今は使われていないようだった。

デリー・スルターン朝の3番目のトゥグラク王朝
(1351~88年)の首相であった、
カーン・イ・ジャハン・ジュナン・シャーが建てた、
イスラム様式とヒンドゥー建築の融合したモスクである。
縦横が52m四方で、二階建てに見えるが3mの台座に乗っている、

南側が正面で、反対側の北にも階段があって、
中に入れるようになっている。
一周して階段を登ってみる。

 

内部は修復中のようで、所々に切り出した石があった。。
十字に通路があり、四方は空が見える空間・・・。
柱の数が200本以上あるらしい。

もともと屋根がなく中庭のような造りで、
探してみたのだが、よくあるスタイルの、
メッカの方向に向いた礼拝の場所が見当たらなかった。

インド中のいろんな場所でモスクを見てきたが、
初めてみるスタイルだった。

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CCDのコーヒー豆 その②。

2020年04月06日 22時06分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR

昨年末、カフェ・コーヒー・デイ(CCD)系列の
コンビニ:エッセンシャルでコーヒー豆を購入したのだが、
イマイチだったのは記事にした。

  

チコリ種がブレンドされているからかもしれないのだが、
左側のチコリ43%の方はひどく不味かった。
右側はチコリ20%、やはりコーヒー100%に比べると、
不味いのだった。

今回、CCDの店舗で別の豆を購入してみた。。

左側のアラビカと書かれた方が200gで130Rs(約185円)、
コーヒー100%でマイルドらしい。
右側は115Rs(約165円)、チコリ35%で濃い目だそうだ。
と言う事は・・・左側の方が美味しいって事ね、笑。

美味しい方から飲んでみる。左側はこんな感じ。
マイルド・ブレンドと言う割には苦めだったので、
豆の量を少なめにして調整した。

右側はこんな感じ。
苦めのローストと言う事だったが、
マイルド・ブレンドとは逆であまり苦みもないし、
濃い感じもしなかった。
確かにチコリが35%も入っているので、
独特の風味を感じるが、115Rs(約165円)だし。

リピートするとなれば
コーヒー100%のマイルド・ブレンドの方だけど、
飲めない事はないし、なんたって安い。

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今日のカレー(No.413) ~ベジ・ノンベジ・フード~(パハール・ガンジ)

2020年04月05日 22時01分59秒 | カレー / CURRY

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

数年前の学生の頃は、よく屋台や露店で食べていた。
学校の周りにそういった店しかなかった事が理由でもある。
そう言う店ではターリーが40Rs(約65円)、
カレーとパラタやクルチャが20Rs(約35円)と激安だ。

衛生状態を気にしなければ問題がない。
最近は今風なカフェに行く事が増えたので、
久しぶりに町食堂へ行った。

バックパッカー街であるパハール・ガンジの、
しかもニュー・デリー駅からほど近い町食堂の密集地帯だ。
駅を背にして右側一帯、ちょっと奥まった場所にある。

よ~く見てみたが店名が見当たらないので、
看板に書いてあるベジ・ノンベジ・フードとした。
 
駅に面した大通りにある店はボッタくり店が多いらしい。
手口は・・・頼んでもいない料理を勝手に追加で出してくる。
お客がサービスかと思って確認せずに食べてしまうと、
その分だと言って料金を追徴請求する。

気をつけよう。インドにタダのサービスはないっ!!

            

住 所:Amrit Kaur Market, Opposite New Delhi Railway Station,
      Paharganj, New Delhi
電 話:91-11-61495153
予 算:70Rs~

<食したメニュー>

普通のターリーが60Rs(約90円)。
一番高いターリーでも100Rs(約160円)。

フイッシュ・ターリー 80Rs(約120円)

やっぱり魚がある時には魚でしょ。

<店内の雰囲気>

奥に神様が祀ってあるのも典型的な町食堂。

店頭で調理しているのも典型的な町食堂。
ドアもないのでエアコンもなし。

<感想と評価>

テーブルの上には塩と青唐辛子。

手前左側から魚カレー、ライスとチャパティ、
奥左よりキュウリとアチャール、ダール・カレー、野菜カレー。

魚カレーの左側に遭った赤唐辛子をかじってしまったら、
しばらく口が痛くなって味がわからなくなってしもた。
野菜カレーはジャガイモときゅうり。魚カレーも
唐辛子以外はそれほど辛くなく・・・・。
これで80Rsでお代わりも自由だった。

 評価は◎(この辺一帯の食べ歩きもしようと思った。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

コメント (2)
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YBSセンター (サンキッサ)

2020年04月04日 21時47分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

カンボジア寺の向い側にはアショカ王の柱があった。
凄い高~い、そしてやはり柱の上部しは象~。
普通はアショカ王のシンボルである獅子である。

 これね。

 

入口にあるこの石碑によると、
2012年に建てられた世界で最も高いアショカ王の柱。

柱の左側の道を挟んだ所に寺院があった。
アビダンマ・ブッダ・ビハールとある。

 

集会場のようながらんとした内部に仏像がある。
入口にあったタイルの模様が美しかった。

 

で、帰りがけにこの看板を発見し、
ここがYBSと言う場所である事を知った次第であった。
Youth Buddhist Society。
ちゃんとこの敷地にある物まで親切に書いてあった。

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【インドの寺院】 ~ カンボジア寺院~ (サンキッサ)

2020年04月03日 22時14分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

サンキッサの仏跡を中心とすると、
ホテル・ロイヤル・レジデンシーや日本寺やミャンマー寺は、
東に約1Km行った所にある。
このカンボジア寺は仏跡から西に1Kmほどの場所だ。

派手なピンク色の門が否応がなくとも目立つ。
目立つためか観光客風の人もボチボチ来ていた。
ちなみにインド人。

高い左右の塔がある。
敷地内は広々としている。

本殿の中には燦然と輝く仏像がある。
さすがだ・・・背景がアンコールワットである。

袈裟はヒョウ柄か?

天井の壁には釈迦の誕生から入滅までの絵が描かれている。

入口の上部が入滅であった。

本殿の側面の飾りも豪華だった。
そして裏手には僧房があった。

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【インドの寺院】 ~ ミャンマー寺院~ (サンキッサ)

2020年04月02日 22時24分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

日本寺の向い側にある煌びやかな寺院が、
ミャンマー寺である。昼休みがあって15時から開門。

左側は前殿か? 右側が本堂。

本堂の中にはキンキら金の仏像がおわした。
よく見ると大仏の前に小さな仏像が。

 

手前の前殿には仏足があった。

 

前殿の前の畑にはイチゴが実っていた。
針金でできているずいぶんと厳重な防御ネット、
私は写真を撮るくらいでつつかないけど、
目ざとい鳥がつつくのかな。

前殿、本殿の右側にも建物があり、
中には見慣れたポーズの仏像が祀ってあった。

 

前庭に鐘が。

そして寺院の裏手には立派な僧房があった。
たくさんの僧侶がいるのだろう。

3軒あった寺院の中ではこのミャンマー寺が一番大きかった。

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【インドの寺院】 ~ 日本寺~ (サンキッサ)

2020年04月01日 22時28分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA

インドでは2020年3月24日より、
コロナ・ウィルス対策として外出禁止令が出ている。
従ってこの記事はそれ以前に訪問したものである。

仏陀が生みの母マーヤに会う為に天界に昇り、
降りて来た場所と言われているサンキッサ。

通常、仏跡と言われる場所には各国の寺院が立ち並んでいる・・・
のが普通である。サンキッサ以外の7ヶ所には、
日本、タイ、ミャンマー、中国、カンボジア、バングラデシュ、
スリランカ、ブータン、チベット、ベトナム、韓国・・・、
などの寺院があった。

サンキッサの仏跡は小さかったが、
ちょうどお昼時だったので、周囲にお坊さんの姿があった。
調べてみると、日本寺、ミャンマー寺、カンボジア寺・・・。
3軒のみだった。

昼食をとったホテル・ロイヤル・レジデンシーの隣に、
日本寺があった。ホテルの人に聞くと、
ホテルの敷地からは入れるそうだった。

ホテルの庭の建物かと思ったら、
これが日本寺と言う事だった。

ちなみに道路側から見るとこんな感じ。

誰もいなかった・・・。
中に入ってみると、左手に銀の仏像が入ったケースがあった。

左側の中央には塔があり上に仏像がある。
マーヤの前に生まれた釈迦が立っており、
天上天下唯我独尊、と天地を指している。

今までインドのいろんな場所の日本寺へ行ったが、
この塔と仏像は初めて見た。

右側にはご本尊様だが立像である。
これも珍しい。大理石の台座である。

 

恐らくインド各地にある日本寺は、
だいたいが日本山妙法寺であるが、
ここの寺院は違う系列だからであろう。
日本山妙法寺とも書いてないし、
建物も仏像も趣が異なっている。

この地へ来る人は隣のホテルに宿泊するため、
住職も僧侶もいないのであろう。
表から入らずホテルの敷地から入る方が簡単である。

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