実は大都市にも関係がある「ローカル線」
この記事は「ローカル線」がテーマである。しかし実は大都市圏の利用者にも無関係ではない。2024年3月のJR東日本のダイヤ改正で京葉線の通勤時の快速列車が廃止され、沿線の利用者から強い抗議が寄せられたことは記憶に新しい。
大都市圏でも「みどりの窓口(有人窓口)」が次々と減らされている。代わって
・電子チケット
・指定席(多機能)券売機
・オペレーターと話せる対話型券売機
などが増えているが、利便性をアピールしているものの鉄道好きの筆者(上岡直見、交通専門家)でさえ使いにくくて困惑する。利用者のニーズを無視して、JR側の都合だけで機能を限定したシステムになっているからである。
筆者は東京から在来線で約2時間ほどの町に時折行く用件がある。ここは特急も走っているのだが、2023年末に行ったところ、無造作に板を打ち付けただけの改装で窓口が閉鎖されていてあきれた。JR東日本の本社からみれば隣接県はもう
「ローカル線扱い」
という現実に気づいてほしい。国鉄時代には利用者の視点を欠いた
「親方日の丸」
と批判されたが、最近のJRは急速にその状態に回帰しているように思われる。
消える日本列島の「かたち」
鉄道の経営状態を示す数値として「ある区間を、1日に何人の旅客が通過しているかを」を示す「輸送密度(人/日)」という数字がある。感覚でいうと、
・大都市圏のJRや大手民鉄:10万〜数十万人/日
・地方都市圏の幹線:数万人/日
・ローカル線や中小民鉄:数千〜1万人/日
程度である。JR三島会社(北海道・四国・九州)では約7000人/日である。
ちなみに欧州連合(EU)圏では、最も高いオランダで約1万7000人/日、EU圏全体平均で約5800人/日である。つまりEU圏は全体として
「JR北海道・JR四国以下」
のローカル線であるが、近年は環境の観点から鉄道活用を政策として推進している。日本の鉄道の輸送密度が桁ちがいに高いのは
「詰め込み輸送」
の結果であり、JRはじめ鉄道会社にとっては「コスパ」がよいだろうが、利用者にとって望ましい状態なのかといえば首をかしげざるをえない。採算性の観点だけからみると
「数千〜1万人/日前後」
が企業的に成立する分岐点とされる。もし1万人/日以下の線区を切り捨てたら日本の鉄道ネットワークはどうなるだろうか。
実は新幹線でも1万人/日を割る区間が存在するが、さすがに新幹線を細切れにはしないだろうから新幹線は全線残るとした。現在は鉄道路線で日本列島の形が描けているが、1万人/日以下を切り捨てると日本列島はやせ細った形になってしまう(図参照)。新幹線を除くと
「明治初期の姿」
に相当する。1980年代に旧国鉄の分割民営を推進した自民党は、「鉄道ネットワークが崩壊するのではないか」という国民の疑念に対して、極端に輸送量の少ないローカル線(特定地方交通線)以外は維持するとアピールする意見広告を全国の新聞に掲載した。それから三十数年間、いくつかの路線廃止はあったものの辛うじてネットワークは維持されてきた。
しかし最近、日本で初めて鉄道が運行された1892(明治25)年から150年を過ぎた2023年2月には「地域公共交通活性化法改正法」(正式名称は「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律等の一部を改正する法律案」)が閣議決定された。詳細はここで解説する余裕がないが、活性化をうたってはいるが、暗にJRを念頭に置いて
「不採算路線の切り捨て」
を容易にする道筋をつけ、鉄道を残したければ地方自治体で負担せよという趣旨の法律である。
問われるJRの運行目的
JR西日本の長谷川一明社長は鉄道の将来像について
「鉄道そのものを旅をいざなう乗り物にしていくことも重要です。メタバース(仮想空間に作られた世界)のようなバーチャルな空間を車内に組み込む発想があってもいいでしょう」
と経済誌のインタビューで語っている。
しかし地域の利用者はそのような鉄道を求めているだろうか。現実のローカル線ではダイヤ改訂のたびに減便・減車が続き、積み残しが発生するほどになっても地元の苦情に耳を貸さない。無人駅が増えてトイレも待合室も撤去が急速に進んでいる。
JR東日本の『TRAIN SUITE四季島』をはじめJR各社は最低ランクでも数十万円コースというクルーズトレインを運行している。近年は海外からの観光客も多い。それらの列車が走る景観にすぐれた路線のほとんどは「1万人/日以下」の赤字ローカル線だ。それでも大人気なのは単なる移動手段ではない価値を鉄道に見いだす人が多いからだろう。JR各社はローカル線を
「客寄せの材料」
として使ったあげく捨ててしまうのか。ローカル線の利用者は「お客さま」には含まれていないのかもしれない。
ローカル線を残す「論理」
ローカル線に関してはしばしば
「輸送量が少ない鉄道路線はバスに転換すればよい」
という議論がみられるが、当媒体の他の記事でも何度か取り上げられてきたように、バスも危機的状況にある。
最近ではドライバー不足が焦点だが、鉄道で採算が取れないような地域では、バスに転換したところで短期的に赤字額が縮小するだけでいずれバスも廃止される。現に2000(平成12)年以降に累積で
「約62万km」
のバス路線が休廃止されてきた。
ローカル線で「100円の営業収入に対して営業費用が何万円もかかる」などの極端な例が興味本位に取り上げられるが、総額として日本の鉄道全体に占める赤字の割合はごくわずかでしかない。
都市部の鉄道利用者が負担した運賃収入がローカル線の維持に使われるのは不当だという意見も聞くが、これまでにも多くのローカル線が廃止されてきたにもかかわらず、大都市の鉄道利用者の利益、具体的には
・値下げ
・混雑解消
・利便性向上
などとして還元された実績があるだろうか。
一方で携帯電話やスマートフォンを考えてみよう。これらが機能するには、ユーザーが所持するデバイスの背後で基地局・サーバーなど膨大なシステムの稼働が不可欠である。いま過疎地でも至る所に基地局が設置されている。仮に地域別に計算すれば過疎地では一通話に何万円かを課金してもコストは回収できないだろう。大都市のユーザーが過疎地のユーザーを補助することで全国どこでも通じるシステムとして成り立っている。
「自分は都市内での通話にしか使わないのに過疎地の費用を負担するのは不当だ」
という批判は聞いたことがない。
単なる「移動手段」ではない鉄道価値
「鉄道(駅)を廃止すると町が寂れる」という話をよく聞く。ここで具体例として、北陸地域はかつて
「国鉄の駅ごとに私鉄が接続している」
といわれたほど多くの中小私鉄が存在する私鉄王国であったが、その多くが廃止された。ここを例にして
・現状で鉄道(駅)が存在する地域
・過去に鉄道(駅)が存在したが現在までに廃止された地域
・もともと鉄道(駅)が存在しなかった地域
の三分類で、それぞれこの間30年間の人口推移を調べてみた(図参照)。
すると、現在も駅が存在する区域では、駅が廃止された区域・もともと駅が存在しなかった区域に比べると、人口の減少が抑制されている。
実はその関係については研究者の間でも諸説があり、因果関係が逆(利用者が減少したから廃止せざるをえなかった)という見解もあるが、結果として鉄道駅が“町の核”となっていることが推定できる。
ローカル線の存続は採算性だけでなく多様な側面から議論すべきではないだろうか。