清和会秘話2<本澤二郎の「日本の風景」(4617)
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清和会秘話2<本澤二郎の「日本の風景」(4617)
<保守本流と傍流を歩いた松野頼三のやや公正な一言>より、転載させて頂きました。
人間はいろいろだ。昨日の岐阜市では「信長まつり」という同市主催の行事が繰り広げられたという。地元テレビ局は実況中継までした。市民の中には、このようなことに税金を投入する行政に眉をしかめる者も少なくない。「チャンバラ映画」を幼少期に体験した世代は、よほど変わり者でない限り、興味も関心も沸かない。
ただ、もしこれを神道・神社の宗教行事とすると、信教の自由に違反し、そこに税金や自治会の公費を投入すれば、重大な犯罪を構成することになる。
本日のネット報道によると、実際には行列脇の観覧エリア1万5000人の枠に、96万人が応募したという。武者行列に俳優の木村拓哉が出演したことからも、 ミーハー族氾濫が見て取れる。財政破綻が叫ばれる中での税金投入自治体に拍手は出来ない。
思考が嫌いな人間、寄らば大樹のような生き方が好きな人間にミーハー族的な人が多く、均衡人間が少ないという。人はさまざまだ。記者も政治家もそうである。筆者の場合は小新聞社という事情もあったが、何でも見てやる欲張り政治記者だったので、特定の派閥にのめり込むことを由としなかった。
したがって、大手紙の派閥記者のように、派閥の広報宣伝記者にならなかった、なれなかったのだ。政界の秘密も可能な限り記事や本で公開することが、国民に対する義務だと現在も考えている。何事も左右に偏せずだ。20年の派閥記者生活をしながらも、その間、安倍晋三にどっぷりつかったNHK記者には、ひたすら仰天するばかりである。その宣伝文にいかほどの価値があろうか。掲載した月刊誌「文藝春秋」もたかが知れている。NHK記者はジャーナリストではない。むしろNHKの腐敗を裏付けている。
同じく自民党の保守本流の吉田茂を、首相秘書官として体験した松野頼三は、吉田の仇敵である侵略戦争犯罪者として、連合軍によってA級戦犯にされた岸信介の政権と、岸の実弟の佐藤栄作の内閣、さらには自民党最左派の三木武夫にもどっぷりつかった。こうした異例の経歴は、松野こそが戦後政治を公正に語れる有資格者といっていい。
<「岸さんは悪党であれ来るもの誰でもそばに置いた」ダボハゼ人間>
あるときに「岸さんと佐藤さんは、同じような人物でしたか。どこか違いがありましたか」と問うてみて彼の、特に岸評に注目した。
自民党内の反岸の急先鋒は、戦闘的リベラリストの宇都宮徳馬である。それ故に宇都宮ファンは、政治記者が多く、自民党時代の宇都宮事務所は取材記者によって、いつも膨れ上がっていた。共同通信の編集局長・内田健三は、宇都宮に対して「戦闘的リベラリスト」という愛称をつけたほどだ。リベラルな記者が取り巻く宇都宮を、右翼は手を出せなかった。むしろ国会周辺を街宣車が暴れまくっている時などは、公然と右翼に喧嘩を売っていた。
そこで松野の岸信介評はどんなものだったのか?彼は岸内閣で入閣した経験者だ。「岸さん」と呼んだ。そして「佐藤さんとは性格が全く正反対で、誰も拒まない。喜んで受け入れてしまい、周囲はハラハラさせられていた」となる。
羽田空港近くの河川でも、季節に釣り糸を垂らすと、その瞬間にウキが沈む。ハゼはかまわず餌に食いつく。人呼んでダボハゼ。相手を選ぶことなく誰にでも扉を開いている。
その意味するところは、失礼ながら「自分よりも悪い人間は、この世にいない」と信じ込んでいるからなのか。彼は固有名詞を上げなかったが、政界に首を突っ込んだものであれば、誰でも分かっている。
笹川良一や児玉誉士夫を評価する人間が、この世にいるだろうか?いないだろう。戦後右翼を代表する人物だ。右翼暴力団の頂点にいるような人物である。悪徳人間の最高峰とでもいえようか。
誰も近寄ろうとしない。善人であればあるほど、接近を回避しようとする。当たり前だろう。A級戦犯の岸信介は違った。彼らもA級戦犯の仲間だった。満洲傀儡政権のもとで働いた同士だったのだろう。悪逆非道の仲間たちと岸の交流を、松野は佐藤栄作と比較した岸を以上のように評した。
笹川も児玉も唾棄すべき人物というのが、政界に限らず多数国民の評価であるが、岸は彼らと提携して、かの有名な大事件で知られる60年の日米安保改定を強行した。60年安保改定は、むろん、ワシントンの指令である。この時点で、日本の属国が定着してしまったのだが、これに反撃する学生・労働者に対して、岸は警察だけでなく右翼暴力団を動かした。笹川や児玉が戦後最大のデモに右翼暴力団を使った。
時のアメリカ大統領のアイゼンハワー元将軍を東京に呼ぼうとしたが、学生や労働者の反対デモが許さなかった。岸は自身の野望実現にやくざ・右翼暴力団を使って抑え込もうとした。松野はそのことを指していたのである。
岸は防衛庁長官の赤城宗徳に向かって「自衛隊の出動」を命じた。もしも、赤木が首相の指示に従っていれば、間違いなく中国の天安門事件のような大惨事になっていた。赤城は「いつでも辞表を叩きつける用意はしていたよ」と筆者のインタビューで語った。それでも目標を達成しようとする場面で、岸は手段を選ぼうとしなかった。
このころである。岸は統一教会の文鮮明を東京に呼んで、反共組織つくりを育成していた。もう半世紀どころか62年も経つ。
<「ダグラス・グラマン事件証人喚問でも岸の名前を出さなかった」松野>
「一宿一飯の義理があるので」という言葉を、安倍犯罪である森友学園事件の時、聞いたことがある。元自民党秘書に言われると、次の追及をやめたものだ。しかし、国民は分かっている。同学園の理事長は、幼稚園で教育勅語を暗唱させていた。戦前回帰の実践者に安倍夫妻は感動して、公有地の払い下げに、特別の便宜を図った。権力の乱用の典型事例だ。しかも、当事者は日本会議のメンバー、安倍の仲間である。
人間は弱い動物である。元秘書はこの事件の真相を知っているが、ジャーナリストに話は出来ない。本人は「仁義」だと思い込んでいる。
大平内閣の時だった。岸内閣時代のダグラス・グラマン事件が発覚した。国会は大騒ぎになった。社会部記者は、松野事務所を十重二十重と取り巻いて、松野の動きを追っていた。
国会の証人喚問に引きずり出された松野を擁護する者はいない。福田派清和会の元参謀を、福田は「政界のはぐれガラス」と松野を切って捨てていた。岸の軍用機利権をめぐる野党は、当時の防衛庁長官から岸の言葉を引き出そうとしたが、松野は口を割らなかった。
岸は助かった。なぜ、松野は口を割らなかったのか。おそらく、岸に一宿一飯の義理がある、というのであろうが、筆者はそうではないと見る。岸の周囲の取り巻き連を知悉していた松野である。
暴力を振り回す野蛮な組織の存在を、自ら確認してきている。「命あっての物種」と判断したのであろう。目下の統一教会国際勝共連合カルト勢力と対決している?岸田文雄内閣だが、これの決着に躊躇している。多くの国民の認識であろう。安倍の銃撃事件で変わったことは、警察庁の警備体制の強化である。全体の奉仕者として勇気を出す義務があろう。
しかし、松野は勇気がなかったのではないか。
2022年11月7日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
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