清和会秘話12<本澤二郎の「日本の風景」(4627)
<文鮮明の統一教会だけでなかった清和会と韓国の不思議なつながり>
岸の孫である安倍晋三は例外だろうが、そもそも朝鮮民族は優秀である。勤勉・清潔で、かつ教育に熱心である。日本に渡ってきて指導層の地位を獲得するのも、ごく自然だったと思いたい。
宇都宮徳馬は、父親の太郎陸軍大将兼朝鮮軍司令官が朝鮮半島の平壌で勤務していたころ、現地で再会している。その時の「親父の薫陶」を生涯、覚えていて、何度も聞かせてくれた。「朝鮮の文化は日本と比べ物にならないくらい高い。大きくなったら朝鮮の女性と一緒になりなさい。決して朝鮮人を馬鹿にしてはならない。いいか、わかったね」と。
陸軍参謀本部に勤務していたころは、中国革命の孫文と連絡を取っていた。まさに開明派を代表していた。長州の山県有朋とは違った。
その優秀な民族が、日本侵略軍に屈し、36年間も植民地支配を受けていたわけだから、その怨念が容易に解消することはない。100年、200年の時間を必要とするだろう。
日本の縄文や弥生からの近代化は、大陸の文化が朝鮮半島を経由して伝わってきたことに由来する。銅や鉄の文化は、半島から人と共に伝わってきたものだ。日本古来の原始宗教の神道もそうであろう。結果的には、文鮮明が売国奴のA級戦犯を見事に操って、日本の権力中枢を制圧しても、歴史をたどると不思議ではないのだが。
しかし、それでも歴史の教訓を受け入れ、学んできたはずの多くの日本人は、迷える小金持ちの女性から身ぐるみを全てひとつ残らず剥ぐという強奪を許容できない。国際社会の価値判断であろう。反社会的な文鮮明の統一教会は、日本から追い出すしか方法はない。
岸・福田・安倍の清和会もまた、韓国との不思議な縁が存在した!佐藤家から養子に出された岸家を、木と子で李となるところから朝鮮の人と解釈する向きがある。
<赤坂プリンスホテルは朝鮮・李王家の邸宅を西武の堤康次郎が買収>
乱暴すぎる日韓併合(1910年)によって、朝鮮の李王朝は日本の皇族に従属することを強要される。王朝最後の皇太子・李恨(土ヘン)と妃の日本皇族の梨本宮方子の大邸宅(紀尾井町)が、日本敗戦で廃位させられた。激変する廃墟の東京における朝鮮王朝の大邸宅は、1952年に幕を引いた。この一等地を買収した人物が、西武の不動産王の堤康次郎だった。
方子が星島二郎(堤も共に衆院議長)に相談し、滋賀の不動産財閥の堤に持ち込んだ。落ちぶれた皇族の邸宅を買い占めていた堤のもとで、赤坂プリンスホテルに生まれ変わった。この一角を堤が福田赳夫に格安で提供し、清和会の本陣となった。
<1952年まで梨本宮方子(李・皇太子妃)が住んでいた大邸宅>
方子が大邸宅を手放した1952年というと、アメリカではアイゼンハワーが共和党から出馬して当選している。イギリスではロンドン・スモッグで数千人が死亡した。NHKが菊田一夫脚本の「君の名は」を放送、日本が主権を回復、独立した年でもあった。意外なことに、この年に日蓮正宗の信徒団体・創価学会が宗教法人になった。
皇太子は既に亡くなっていたが、方子は1970年まで生きた。赤坂プリンスホテルの今は知らないが、間違いなく国会議事堂や首相官邸のように赤じゅうたんを敷き詰めてあった。平民との格差が見て取れる。
朝鮮の人たちは、他の民族との結婚を排除するという。大陸では、漢民族に吸収された満州族と異なる。昔の話では「岸番の田中六助と安倍晋太郎が岸の長女の洋子をめぐって奪い合いをした」とささやかれたものだが、それは最初からなかった。晋三もそうだったが、晋太郎も同じ民族同士の結婚だったと見られている。
<星島二郎が堤に紹介して赤プリ=福田赳夫に格安で事務所提供>
星島二郎は、日本国憲法を制定した時の吉田茂内閣の閣僚(商工大臣)だ。護憲リベラルの政治家だった。東京帝大から弁護士、衆院議員を務めた。し、護憲派が自民党内にいたことが、政治の安定に不可欠だったが、この10年か20年の間に変質した。清和会と統一教会の暴走と比例している。
星島は、弁護士として梨本宮方子から相談を受けることが少なくなかったらしい。紀尾井町の大邸宅売却の相談を受けていたのだろう。その延長線上に堤がいた。堤はプリンスをそのままホテルの名前にした。赤坂プリンスホテル誕生だ。そこに清和会が陣取った。ちなみに田中派と中曽根派は砂防会館、三木派は番町会館、宏池会は自転車会館。三木派を除くと、すべて国会周辺である。赤プリも砂防会館も、自民党本部に近い。
<福田派プリンス=安倍晋太郎が自ら新聞に売り込む?晋三は閥務ゼロ>
思い出すと安倍晋太郎について、政治記者は早くから「プリンス」と呼んでいた。赤坂プリンスホテルのプリンスにあやかったのだろうが、筆者などは福田副総理時代のN秘書の説明を聞くまで知らなかったし、知ろうともしなかった。
朝鮮の李王朝の皇太子夫妻の邸宅だったことも気付かなかった。いまここがどうなっているのか、どう呼ばれているのかも知らない。20年間の派閥記者時代は、派閥事務所をよく徒歩で歩いた。足腰を鍛えた。したがって、永田町や平河町界隈以外の日本を無知でやり過ごしてきた。むしろ100回以上も訪問した中国の方が、詳しいかもしれない。むろん、冗談ではあるが。
ただ、安倍内閣のもとで日韓関係が壊れた理由が、ようやく分かってきた。韓国の文在寅政権が反右翼政権であったことが原因だった。日本の安倍の韓国人脈は右翼政党に絞られていたようだ。統一教会の仲間の右翼政党と癒着していた、そのためだった。韓国右翼は、岸と仲間の朴正熙人脈だ。右翼に塩を贈る安倍政権だった。いま韓国の保守右翼の新政権のもとで、日韓の急速な接近が見られる。政府自民党の統一教会退治にブレーキがかかるだろう。反対にワシントンのトランプは、中間選挙を終えてみると、期待したほどの大きな成果が出なかった。それでもバイデンのCIAはどうでるのか?注目を集めている。
また、岸や安倍家から「プリンス」が出てくるのかどうか。日本国民の統一教会アレルギーは予想以上に強い。
安倍派の行方はどうなるのか。合わせて10年も首相に就任しながらも、晋三は派閥の面倒を見てこなかった。福田側近の塩川正十郎らは「安倍は清和会の人間ではない」と豪語していた。清和会が結束して安倍を総裁に担いだこともない。現在はっきりしていることは「統一教会の帽子だった」。統一教会に汚染してる清和会関係者は、今後も厳しい目で見られることになる。清和会の結束は期待できないだろう。政界再編の波を待ち望む議員が少なくないようだ。
2022年11月17日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)